
『学園アイドルマスター』史上最も“趣味”を我欲にまみれさせた生徒・篠澤広は本当にアイドルに向いていなかったのか? そんなわけないので私が広を見つめる理由を極めて客観的に整理しようとした【担当アイドルへ愛を叫ぶレビュー&考察】
曲も聴いた
恥ずかしながら、それまで篠澤広の曲はワンコーラスやゲームライブ用のカット版を主に聴いていた。さきほどのライブで「光景」のフルバージョンは聴けたので、取り急ぎ「コンテンポラリのダンス」を聴いてみた。
ゆるりとしたテンポで音も少なめ。どことなく「みんなのうた」を思い出すような雰囲気で、篠澤広の歌声も優しく耳に届く。たしかに「光景」とは毛色の違う魅力を持った曲だった。
ただ、やはりドキっとさせられる要素はあって、例えば歌詞の〈ロマンティックな打算〉などはどのような意味なのかじっと考えてしまった。
誕生日ライブの一曲目であった「コントラスト」はゆったりと、しかし何かが張っているような空気が漂う。
公式でサビのみ野外ライブの映像が上がっていたので見てみたが、細くしなやかな腕や足が大きく使われていて、バレエや舞のようなニュアンスを感じた。あとよく聴いたら変拍子すぎた。ビックリした。
その流れで「サンフェーデッド」も聴いてみたが、これはなんだ……? 乾いたスネアの音に歪みすぎてまっすぐ聴こえてくるギター。知らなかったのだがオルタナティブロックというジャンルのひとつと分類されるらしい。衝撃的すぎて調べてしまった。
ここでも不思議と、篠澤広の声は当然かのように耳に届く。こんなにもギャリギャリとしたバンドの中に燦然と輝く。「サンフェーデッド」が生み出す浮遊感が新鮮な経験すぎて、わからなくて、直後もう一回再生ボタンを押していた。
どうやらMVがあるらしい。カッコよかった。理解が追いついていないが我々が生きる世界に篠澤広がいた。不思議だった。篠澤広が秋田出身であるという情報と、歪んだ美しさだけは確実に脳裏に焼き付いた。
関連動画で「メクルメ」という曲に行き着いた。「サンフェーデッド」よりもクセがあるのではないだろうか。早口の篠澤広がぐりぐりと動き回るエレキサウンドに乗っている。それにしてもリリックビデオの篠澤広とやたらと目が合って、それが気になってしまった。
篠澤広はカメラを見ているだけだと思う。でもそうじゃないかもしれないとも思った。目線を向けているだけではない気がする。これが誕生日記念シングルなのかと慄いた。
篠澤広はどうにも美しい
篠澤広に出会ってから彼女への印象は変わらない。彼女はとにかく綺麗で美しく、どことなく恐ろしかった。ライブでの生歌は必ずしもビタビタに合うわけではなく、ステージ上でふらつくときもあるけれど、その佇まいや特徴的な空気感は美しいと言わずして表現ができない。
ちまたでは、篠澤広を神格視するファンがいるらしい。アイドルという言葉の元は偶像に紐づくらしいし、彼女たちを神様のように見上げて崇拝することは間違っていないどころか正しい姿勢なのかもしれないと他人事のように思った。
実際に篠澤広はこの世界にいない。あくまでもゲームの中、作品の中の存在である。しかし彼女に魅入られた私はこうして小っ恥ずかしい講釈をたれていて、篠澤広が「アイドルに向いていないわけがない」と記事タイトルから断定し、偶像あるいは神様である理由を探そうとしている。
人は心理的な救いを求めて神を崇め奉るという。私自身の実生活が苦しいものという自覚はない。人にも恵まれて、趣味が高じた仕事で飯を食わせてもらっている。しかし篠澤広から目が離せなくなっているし、なんだかさっきから篠澤広も私から目を離してくれないのである。
そして篠澤広とともに歩むことができる機会があるらしい。そう『学園アイドルマスター』で彼女を本格的にプロデュースすることである。P課題達成のためではない。彼女の趣味のためにすべてを捧げるときがきたのだ。


























