
『学園アイドルマスター』目指すべき道を絞らない有村麻央に見る守破離──可愛い×カッコイイ=無敵なのは既にお聞き及びのこととは存じますが【担当アイドルへ愛を叫ぶレビュー&考察】
有村麻央はカッコイイ。
後輩の窮地に迷わず駆けつけ華麗なお姫様抱っこをし、不測の事態には「格闘技を嗜んでいるので」と冷静沈着に場を制圧する初星学園学生寮の頼れる寮長。その立ち居振る舞いや行動規範には、幼少期の劇団時代から培われた高潔な美学が脈打っている。
有村麻央は可愛い。
157cmの小柄な体躯に大きな瞳、あどけなさを残した愛らしい顔立ち。オーバーサイズのジャケットに埋もれる華奢な手先、照れ隠しに前髪を気にする仕草。周囲が思わず庇護欲を掻き立てられ相好を崩してしまう可憐さは、どれほど本人が否定しようとも隠しきれない天性の魅力である。
一見すると「カッコよさ」と「可愛さ」は対極に位置する。多くの者はこの二者択一を迫られ、どちらか一方を選び取ることで自己を定義しようとするだろう。しかし有村麻央というアイドルはその二者択一を拒むことを選択し、双方が共鳴し合う高次元の境地へと到達した唯一無二の存在である。
今回は、可愛くてカッコいい無敵のアイドル・有村麻央を今一度考えたい。その補助線は、日本の伝統芸能や武道における熟達のプロセス「守破離」とする。彼女がいかにして既存の枠組みを解体し、唯一無双の「無敵」を体現するに至ったのかについて、小っ恥ずかしい文章をしたためるべく筆を取ってみようと思った。
なお筆者は今、麻央ちゃん先輩の笑顔が頭から離れない病「有村超可愛最高笑顔依存症候群(Arimura Super Cute Supreme Smile Addiction Syndrome)」に罹っているため冷静ではない。
守破離とは
「守破離(しゅはり)」とは、日本の茶道、武道、伝統芸能などにおける修行の段階を示したもの。千利休の教えである「規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」の一節に由来するとされる。
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守(しゅ):師の教えや流派の「型」を忠実に守り、一切の私心を交えずに基礎を徹底して身体化する段階。
破(は):身につけた型を基盤としつつ、他流の長所や新たな工夫を取り入れて既存の殻を打ち破る段階。
離(り):型への囚われから脱却し、独自の表現境地を確立する段階。ただし「本を忘るな」の戒めはそのまま。独自の流派・個性を完成させ、模倣者から創造者へと昇華する到達点。
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芸道における型とは、表現者を縛る足枷ではなく、卓越した創造性を開花させるための不可欠な土台と言えよう。型を極めたからこそ型を破ることができ、最終的に型から離れても根源の精神(本)を失わない。この熟達のサイクルは、表現者としての有村麻央が辿った魂の変遷と精密に呼応しているのではないかと考えた。
麻央の守
有村麻央の「守」は、幼少期に観劇した歌劇団に対する強烈な憧憬から始まった。舞台上で圧倒的な輝きを放つスターを目撃した彼女は「カッコいい」を目指して子役の世界へと飛び込んだ。
麻央はカッコいいので、劇団においてすぐさま「カッコいい」を抱くことに成功しただろう。周囲の期待に応えて喝采を浴びていた時期は、まさに理想とする型を寸分違わず自らに刷り込む「守」の純粋な時代だったのだと思う。
しかし、彼女の身体的な成長がその「守」に“待った”をかけた。
十王星南(170cm)や雨夜燕(169cm)、姫崎莉波(166cm)といった長身の同級生たちに囲まれる中で、麻央の身長は157cmで止まった。輪郭には愛らしい幼さが残り、身体のプロポーションは女性的な柔らかさを帯びていく。
役を持って舞台に立つ者であれば、外見から来る印象は想像以上に重要視されるだろう。一般的な評価が「カッコいい女の子」から「可愛い女性」に変わり始めたその時、麻央の中で「型を守ること」は自己防衛のための強迫観念のようなものへと変質したと考えられる。本来は表現を豊かにするための型が、現実の肉体変化から目を逸らすための強固な鎧となってしまった。
身体のラインを隠すためにオーバーサイズのジャケットを着用し、結果として小柄さと袖の余りを際立たせる麻央。本当は甘いものが好物であるにもかかわらず背伸びをしてブラックコーヒーを口にし「サンドイッチは三角なのがカッコいい」「ボクに似合うのはデニッシュのようなカッコいいパン」といった独自の基準で己を律しようとする。
……してない? してるんですよ。だって「カッコいいパン」ってよくわからないじゃないですか。響きだけでいえばパニーニとかのほうがカッコいいし、なんなら「カイザー・ゼンメル」とかいうめためたカッコいい名前のパンがあるんですよ。
さて、本稿ではそのすべてが王子様という型を死守するための抵抗であった、としたい。主に後輩から親しみを込めて呼ばれる「リトルプリンス」という愛称にも不満を抱いたのは、自らの可憐な資質を「理想を阻む欠陥」として憎み、王子様らしくない自己を徹底して排斥しようとしていた心理に起因しているのだろう。


























