
『学園アイドルマスター』史上最も“趣味”を我欲にまみれさせた生徒・篠澤広は本当にアイドルに向いていなかったのか? そんなわけないので私が広を見つめる理由を極めて客観的に整理しようとした【担当アイドルへ愛を叫ぶレビュー&考察】
篠澤広は言う。「いちばんわたしに向いてなさそうだから」アイドルを目指したと。
ゲーム『学園アイドルマスター(以下、『学マス』)』に登場する“異端児”・篠澤広。14歳にして海外の大学を卒業した神童であり、大変端正な顔立ちの美少女である。
大学“卒業”という超飛び級を成し遂げた彼女だが、その様相は学力にステータスを全振りしたような偏りの擬人化。ステージで歌って踊るなんてもってのほか、当初の広は普通に歩くことすらままならなかった。
勉強はできるが動けない。ということは頭では完璧に理解している振付けも出力できない。正直、アイドルに「向いていない」のではなく「実現不可能」が正しい表現だと、彼女に出会ったときに思った。
しかし彼女から目が離せない。それは簡単で退屈な日々から抜け出し、辛いことや苦しいこと、うまくいかないことに出会い乗り越えていく過程に快感を感じる広の姿を知っているからなのだろうか? そもそもアイドル・篠澤広はファンからどのように見えているのか。彼女の本質とは何なのか……。
篠澤広の真理を垣間見たいがために、これまで積み上げてきた篠澤広との関係値を可能な限りリセットして、客観視してみようと思う。
篠澤広をちゃんと見つめるために
日々をともに歩むプロデューサーが担当アイドルを愛するのは当然のことであって、プロデューサー視点での評価など偏って然るべきである。
したらば、どのように篠澤広を評価すべきか。そもそもアイドル・篠澤広はどのように見えているのかを考えれば良いのである。目指すのは極限の客観視である。これがとっても難しい。もう自分の脳みそに篠澤広の魅力が焼き付いて離れてくれないのだ。
とりあえず彼女との出会いから遡ってみようと思う。まだ、篠澤広に目撃される前の自分の記憶を掘り起こしてみたい。
出会った
当然、篠澤広の存在は知っていた。知っていた上で放置していた。なぜなら「どうせこの子のことを好きになる」「プロデュースしたくなってしまう」とわかっていたからだ。
生来、色素の薄いキャラクターが好きだった。白やグレー、およびそれに準ずる淡い色合いが好みだし、それに伴うように表情の揺れ動きが薄い人物像にも興味が惹かれる。しかし篠澤広はまったくの無表情ではなく、むしろ笑顔のバリエーションは豊かであって、そこに可愛らしさも感じていた。出会う前から見入ってしまっていたのだと思う。
篠澤広との本格的な出会いは「篠澤 広 生誕ミニライブ2025」だった。昨今はSNSのタイムラインや動画サイトで短いライブ映像が流れてくることがある。何の気なしに動画を見漁っていると、その動画を見つけてしまった。なんだかSNSで話題になっていたので見ることにした。
演目が進むにつれて、デカいモニターに映し出されたぼんやりとしたシルエットを見た。
「みんながこの音声を聞いているということは」「私はすでに力尽きて 演出プランΩが発動している状況」と言っている。体力がない篠澤広特有の演出がズルいと思った。
すぐに復活するから応援の声を聞かせて、と煽るアイドル。状況的に録画されたものなのだろうが、会場に集ったファンは大歓声で応えている。この先も面白そうだったので見続けることにした。
画面の中の篠澤広は続けて「演出プランΩ」とやらの前に歌った曲の紹介が始まった。「コンテンポラリのダンス」はとても可愛い曲。彼女は「これも私」と言う。少女は可愛く美しい顔であるが、普段はもっと違うアッパーな曲を披露しているということだろうか。
少しだけ待っていると、明らかに息を切らしたさっきの少女が出てくる。ぜぇはぁしながらも笑顔を見せる彼女は美しいが、そんなことより線が細い。体重なんてないんじゃないかと思うほど、心配になってしまうほど細い。そんなアイドルが歌い始めたのは「光景」という曲だった。
とぼけたようなサウンドエフェクトから始まったその曲は、壮大なブラスと弦楽器の音で満ちていく。響く音圧に絡まるのは彼女の澄んだ声であり、細い印象を受けるのに不思議と鼓膜を揺さぶってくる。裏で鳴り続けているハープのピチカートのような音が気になるが、衣装に付いているひらひらとした装飾が右に左に舞って見た目も楽しい。ゆったりとしたダンスにはどこか余裕も感じられて、だんだんとその光景を「美しいもの」として捉え始めてきたころ、間奏がやってきた。
いきなり不穏すぎる。暴れ狂うドラムとトランペット、急激にストップがかかる展開も明らかに予想外だった。なんだかちょっとだけ怖い。
しかし間奏が終わると何事もなかったように、あの声が聴こえてくる。とても綺麗だったから、怖いなんて感情はどこかに行ってしまった。そして最後に「また会おうね」と言って手を振る彼女と確かに目があって、ライブ映像は終わったのである。
この数分で彼女に対する認識は一回りした。画面に映る彼女はわけがわからなくて、眼の前に現れた女の子は美しく、音楽は個性的で綺麗。しかし時折、得体のしれない怖さが襲ってきて、畳み掛けるように喰らわされるのは美しさの奔流。もう何がなんだかわからないまま、最終的にこちらを“見られて”終わってしまった。
わからなかったので、そのあと「コンテンポラリのダンス」「光景」を調べてみた。どうやら同じような感想を抱く者が多く、そのほとんどが篠澤広に絶賛を掲げていた。


























