
UNISON SQUARE GARDENロスの私は彼らの軌跡をアニメで辿ることにした──TVアニメ『ブルーロック』を楽曲目線でレビュー
大好きなロックバンド・UNISON SQUARE GARDENが2026年7月15日に活動を休止して早3ヶ月。今夏も各地で音楽フェスが開催されていましたが、毎年様々な会場を湧かせていたユニゾンの名前はもちろんタイムテーブルにはない……。
彼らを追いかけて各地に足を運んでいた頃のようにはいかずとも、SNSやファンクラブ会報誌で彼らの熱演の様子を見ることは、間違いなく私の活力のひとつでした。
募る寂しさを紛らわせるために私が始めたのは、ユニゾンがタイアップしたアニメ作品の中でまだ触れたことのなかったものに触れてみるということ。一作目に選んだ『風が強く吹いている』の次に私が手に取ったのは、大人気サッカー漫画『ブルーロック』。
作品そのものに触れたことはなかったものの、オタクをやっていればその人気の高さは当然耳に入ってきていました。ユニゾンはそんな人気作と「カオスが極まる」、「Numbness like a ginger」、「傍若のカリスマ」の3曲でタイアップしており、まさに「ユニゾンといえばブルーロック、ブルーロックといえばユニゾン」と言えるほどの関係です。
本稿では、そんな3つの楽曲をベースにユニゾンファン的目線で『ブルーロック』をレビューさせていただきたいと思います。楽曲を通して見ることでここまで作品の解像度が上がるとは思いませんでした。
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物語的にも精神的にも「カオスが極まる」第1期
「主人公が他の選手を蹴落としながら高みを目指していく作品」と、本作の内容をざっくりとしか知らなかった私ですが、その頃から「カオスが極まる」にはその我の強さを感じており、作詞作曲の田淵智也さんのことを「さすがだなあ」と思っていました。
しかし、ちゃんと内容を知ってみると、想像以上のエゴイズムに驚愕すると同時に、いかに楽曲に作品の世界観が入れ込まれているかがわかるように。
世界一のストライカーを誕生させるために高校生FW300人が集められた施設であるブルーロックは、サッカー技術を高められる一方で敗退し脱落した者は一生日本代表に入る資格を失う、つまりサッカー選手としての夢や未来を絶たれるという厳しいルールが敷かれる場所です。
当然、高校生たちは死に物狂いで勝ちにいくわけですが、もう火花の散り方が尋常ではない。火花どころか火を直接吹き合っているような苛烈さ。ライバルへの煽り文句が強火すぎて、いい年した大人の私はちょっと引いてしまったくらい……。
例えるならば「鎬を削る」の究極形。彼らのエゴはまるで鋭いナイフのようだし、ひとつのゴールが夢への架け橋である側面と誰かの夢を断ち切る、さながら死神の鎌的な側面を持ち合わせているのもゾッとしてしまいます。
「カオスが極まる」では<希望があった日に戻りたくなった>と歌われていますが、そう思ってしまってもしょうがないくらい、全員が平等に崖っぷちに立たされているんですよね。
ですが、その後に続く歌詞には<なんて寝てんのかよ 足りない足りない足りない 抉られるくらいわけないぜ 君はどうだ?>と他人のエゴで抉られた先にある成長や覚醒を貪欲に求める姿が歌われています。
とにかくエゴイストであることを求められる選手たちの中には、主人公の潔世一や國神錬介、成早朝日など元来優しさや情に厚い人柄を持つ子も少なくありません。
しかし、そんな性格さえも塗り替えるほど極限までエゴさを求められる青い監獄。追い詰められれば追い詰められるほど、人の良さが削ぎ落され、エゴがむき出しに。
OPには使われていない2番の歌詞には<誠実のボルテージが揺らぐ>とそのこともしっかり歌われています。さらに<正気の行方に興味はねえや>という歌詞が続いているのですが、この部分を聴いて「ああ、彼らはブルーロックで狂っていってるんだ、狂わないとブルーロックでは生き残れないんだ」と楽曲から彼らの精神状態を感じることができます。
ところが、ブルーロックでエゴイストへ変化を遂げていく彼らを見ていると、その協調性やスポーツマンシップは後天的に育てられたものであるように見えてなりません。絵心の言うように個よりもチームを重視する国民性である日本で、より良いチームプレーができるように教育されてきたのです。
それによって、知らず知らずのうちに「自分が勝ちたい」という本来の欲望を抑制されてきたのではないでしょうか。それを強引に解放していくのがブルーロックのシステムなのです。
だからこそ、「カオスが極まる」では<慣れちゃえば超気持ちいい><恍惚の泥沼だ>と歌っているのだと思います。ずっと抑圧されてきた欲望を解放しているわけですから。
物語が進むにつれて、全員の欲望が剝き出しになり、激しさを増すエゴとエゴの<かつてないデッドヒート>。これはもうカオスが<極まってしまった>としか言いようがありません。
ユニゾンからの優しいエール「Numbness like a ginger」
戦えば戦うほどエゴが剝き出しになっていく才能の原石たち。しかし、どんなに必死に戦っても、脱落という厳しい運命を突きつけられる者は出てきてしまいます。
そうなってしまった者はどうしたらいいのでしょう。もう己の欲望を露わにする気持ちよさを知ってしまったというのに。
第1期第2クールのED「Numbness like a ginger」の冒頭<潜りすぎた地下室のように 引き返せなくなったみたいだ これはなんていう味?>のフレーズは、青い監獄に染まってしまったのに脱落してしまった選手たちの心情だと私は感じました。
こんな極限の環境に身を置いてしまっては、もうそれを知らなかった頃の自分には到底戻れないでしょう。脱落してしまったときの絶望感はこれまで味わったことがないほどのものだと思うのです。
私が感じた第1クールと第2クールの大きな違いは、脱落者たちの存在感でした。第1クールで脱落していく選手たちは、言ってしまえばモブ。名前があるキャラもいましたが、そこまで人柄やバックボーンが深掘りされることはないまま彼らはブルーロックを去っていきました。
しかし、この第2クールからは<いきさつが複雑すぎて どこから話していいかわからない>と楽曲でも歌われているように、これまでの物語でサッカーへの想いやブルーロックにかける情熱などがしっかり描かれた選手達が崖っぷちに立たされたり、脱落したりしていくのです。前クールとは段違いで心を揺さぶられました。
そんなストーリーの後に流れる「Numbness like a ginger」。私はこの楽曲がユニゾンから全ての才能の原石たちへのエールに聞こえて仕方ありません。
前述のとおり、彼らにとってブルーロック脱落はサッカー選手としての人生を絶たれるということ。高校生の彼らにとっては本当の死にも匹敵するほどのことでしょう。
そんな彼らにユニゾンはひたすら優しいエールを送ります。<痛いの?違うよ 喉が渇いただけじゃないか>は、ブルーロックで感じた苦悩や絶望を重く受け止めすぎないで、と言っているようですし、<叶わない夢があっても 明けない夜があっても いつかのどこかで答え合わせしようね>は、今の苦しさからいつか解放される日が来ることを歌っているよう。
私が最高の演出だと思ったのは、初めて本楽曲がエンディングとして流れたのが、成早朝日が脱落する回だったこと。
家が貧しい成早は自分がサッカー選手になって、家族に楽な生活をさせたいという思いでブルーロックにやってきましたが、潔に敗北しその夢は潰えてしまいます。
彼がお守りのように握りしめるキャラメルの箱には姉弟たちからの寄せ書きが入っており、その中には「身体に気を付けて」というメッセージも。
そのメッセージと重なるのは楽曲の<命はある それっぽっちのことでもおみやげになるから>というフレーズ。成早の成功はもちろん家族も望むものですが、元気で帰ってきたというだけで家族にとっては十分お土産になるんですよね。
脱落していった選手にとってブルーロックでの日々は<傷跡のままかもしれない>し、<宝物になるかもしれない>。生き残り続けている潔たちでさえ、宝物ではなく傷跡になってしまう日が来るかもしれません。その結果がわかるのはきっとずっと先のことでしょう。
第2クールを見て「Numbness like a ginger」を聞くと、ブルーロックでしのぎを削った選手たちが、サッカー選手になってもなれなくても将来幸せでありますようにと願わずにはいられませんでした。





































