マンガ・ラノベ
<10月のダリア文庫新刊情報>3作品の試し読みページもあり!

<10月のダリア文庫新刊情報>吉原理恵子先生『アンチテーゼな関係陽だまりに吹く風』、葵居ゆゆ先生『したたる恋の足跡』、森本あき先生『プライベート・サファリ▼』の3冊! 試し読みページ&「ビーボーイ&ダリアフェア」の情報もお届け♪

 乙女がときめくボーイズラブレーベル・ダリアより、10月に発売する文庫の新刊情報が到着♪ 今回は吉原理恵子先生の『アンチテーゼな関係 陽だまりに吹く風[7]』、葵居ゆゆ先生の 『したたる恋の足跡』、森本あき先生の「プライベート・サファリ」の3冊をご紹介。試し読みページもありますので、商品情報と合わせてお楽しみ下さい! さらに「ビーボーイ&ダリアフェア」の情報もお届けします!

■アンチテーゼな関係 陽だまりに吹く風[7]
著者名:吉原理恵子
イラスト:緒田涼歌
発売日:2014年10月11日(土)発売予定
価格:602円+税

「アンチテーゼな関係 陽だまりに吹く風[7]」(著:吉原理恵子) (本文p47~50より抜粋)

「結局、あいつの親からは直接的な謝罪はなかったんだろ?」
『うん』
「そんで、いきなり弁護士がやってきて示談の話かよ?」
 非常識にもほどがある。
 そのくらい、未成年の一真にだってわかる。屋久谷だけではない、親のほうにも問題ありありではなかろうか。
『そうみたい。…って、いうか。薄っぺらい型通りのごめんなさいはあったみたい。謝罪と示談がセットっていう感じ?』
「…ったく、親子揃ってクソ野郎だな」
 どこの何様だか知らないが。親子揃って土下座をしにくるならまだしも、弁護士頼みの示談話なんてクソバカの極みである。
(あー、腹が立つ)
 いや──頭が煮える。
『そっちのほうは修平さんに全部まかせてあるから、とりあえず、おれは何も心配しなくていいって言われた』
「おまえは、きっちり怪我を治すことだけ考えてりゃいいんだよ」
 神奈木のできることといえば、それ以外にない。
『うん。だから、明日もおやすみコールしてね?』
 とろりとした甘い囁ささやきが耳に流れ込む。
 ──瞬間。なぜだか、わけもわからずドキリとしてしまった。
 だからだろうか。それを誤魔化すように、
「なら、たまにはおまえがすれば?」
 つい、口が滑すべった。
(あ……マズい)
 失言である。
 うっかりである。
 あとの祭りである。
 それを口にしたら、神奈木のことだから。
 ──え? ホント? いいの?
 言げん質ちを取ったとばかりに、オーバーアクションぎみに舞い上がるかと思っていたら。
『ダメだよ。千堂がおれに電話してくれることに意味があるんだから』
 やけに真剣な口調で言った。
 ちょっと……思いがけない肩透かし? まさか、神奈木の口からそういう切り返しがくるとは思ってもみなかった。
(そういうもんか?)
 思わず一真が押し黙ると。
『好きな人から電話をもらえるってことは、それだけ気にかけてもらえるってことだから。おれだけの一方通行じゃないってことだよね?』
 ──出た。
 神奈木が得意とするところの、無茶振り・ゴリ押し・決めつけ──の三段論法である。
 いつもなら、そこで、げんなりとしたため息まじりの舌打ちが出るところだが。
『おれ、すっごく嬉しい。千堂と好きの距離感がちょっとずつだけど縮まってくような気がするし』
 もはや神奈木の代名詞とも言える激甘なホイップクリームに蜂蜜をまぶして垂れ流したようなハイ・トーンではなく、甘さを抑えたまろやかな艶声にねっとりと耳を舐なめられたような気がして。
(わッ。何、これ……)
 一真は一瞬、息を詰めた。
 ゾワリ、として。思わず首を竦すくめた。
 ドッキリ、して。双そう眸ぼうを見開き。
 いきなり、心臓がバクバクになった。
 そんな自分が信じられなくて。
 ──ウソだろ。
 ──マジかよ。
 ──ありえねぇ~~。
 一人ツッコミを入れまくる一真であった。電話口で、一真が耳まで真っ赤にして狼狽うろたえまくっているのも知らぬげに。
『じゃあね、千堂。おやすみ』
 神奈木が囁いて、電話が切れた。

■したたる恋の足跡
著者名:葵居ゆゆ
イラスト:ビリー・バリバリー
発売日:2014年10月11日(土)発売予定
価格:620円+税

「したたる恋の足跡」(著:葵居ゆゆ) (本文p68~74より抜粋)

「大丈夫か、千空。どこか怪我してないか、痛いところは?」
「……ちょっと力が抜けただけ。終わってすぐだったから」
 肩を抱いたまま気遣わしげに顔を覗のぞき込む澄見の視線を避けるように、千空は顔を背けた。見られたくない、と思う気持ちを押さえつけてわざとゆっくり股間からTシャツをどけ、身体を晒さらしてそれに腕を通す。澄見が気まずそうに視線を逸らすのがわかって、千空は笑いたくなった。
 見るのもいやなら来なければよかったのに、と声が出かかって、かろうじて飲み込む。子供っぽいわがままや身勝手さを見せたくはなかったし、できるだけなんともないように振る舞いたかった。
(後悔なんかしてない)
 セックスなんてたいしたことない、ただの行為だと内心で言い聞かせながら立ち上がり、汚れてしまった気がする身体にそのまま下着をつける。よろめかないよう注意深くジーンズを穿はくと、ふいに澄見の手がうなじに触れた。
 びくん、と震えて振り返る。澄見は眉み間けんに皺を寄せ、ため息をついた。
「帰ったら、シャワー浴びるぞ」
「……帰るって、どこに」
「ホテル」
 言うなり澄見は千空のデイパックを拾い、右手で千空の手を取った。強く握って引っぱられ、抗あらがいかけて、結局千空は彼に従った。
 馬鹿みたい、と小さく呟く。こんなときでさえ、澄見と手をつなぐのが嬉しい自分の心が馬鹿らしい。
 ドアの外には千空を抱いた男と、ホセと呼ばれた男が所在なさそうに立っていた。ホセのほうが、千空を気にしながら「ジョアンは悪くないから許してやってよ。むしろ、彼でよかっただろ」と澄見に言う。
 澄見は無表情だったが、それでもかるく頷いた。たぶんホセは澄見の友人の友人、というような人間なのだろうと、遅ればせながら千空にも察しがついた。バルセロナには澄見の知り合いがたくさんいる。
 ほっとしたようにじゃあまたな、と肩を叩くホセに手を挙げて応えて、澄見は千空をそばまで引き寄せた。
「歩けるか?」
「──そんなにやわじゃないよ」
 本当は歩くと、尻からなんともいえない衝撃が走って不快だった。まだなにかが詰め込まれているような異物感があって、脚運びがどうしてもぎこちなくなる。
 澄見は千空を見下ろし、少しのあいだ迷って手を離した。千空ががっかりしたのもつかのま、澄見は肩にデイパックをかけ直して千空の背中に右手を回し、かがむようにして膝裏に左手を回してきて、ふわ、と踵かかとが浮いた。
「……澄見っ」
「おとなしくしてろ。重くなったな」
 一瞬だけ、澄見の唇の端に笑みが浮かぶ。それを見たらぼうっと顔が熱くなって、千空はぎゅっと目を閉じた。
 横抱きの格好が恥ずかしい。同時に、腕や脚に触れた澄見の手の大きさと、厚みのある胸から伝わる鼓動が、舞い上がりそうに嬉しかった。
(どうして澄見は、僕がほしいものを、いつもあっさり見抜くんだろう)
 澄見、と名前を呼びたくなる。
 澄見、僕──僕、どこまでだってあなたを追いかけたいよ。追いかけるためならなんだってできるって思って、でも、いやだったんだ。澄見じゃない誰かが僕の身体に触るのが。唇って、澄見のじゃないと、全然気持ちよくないね、澄見。
 打ち明けてしがみついて、抱きしめてほしくなる。
 でもそれができるのは子供だけだ。自分で責任の取れない子供の、することだ。
 嬉しさと寂しさともどかしさをぐっと飲み込んで、それでも少しだけ澄見の肩に頭を寄せると、嗅ぎ慣れた澄見のにおいがした。
 風に抱かれているみたい、とうっとり思う。風か、そうじゃなかったら、空。
 広くてあたたかくて、心地好い。
 澄見は千空を抱いたまま古いエレベーターで下り、五分ほど歩いたホテルの前で千空を下ろした。狭くて古めかしいフロントにいた男があくびまじりに鍵を手渡してくれ、これもまた狭いエレベーターで三階に上がると、薄暗い廊下にどこかの部屋から物音が聞こえた。
 澄見はめったにホテルは使わないのに、と思いながら黙って部屋に入ると、想像したよりもずっと室内は清潔だった。
「そこがバスルームだから、シャワー浴びてこい」
「──うん」
 なにか言いたかった。でも、うまく振る舞うことができずに、千空は逃げるようにバスルームに入った。急いで服を脱ぎ、バスタブのないシャワーだけのブースに入って頭からお湯を浴びる。綺麗にして、そしたら澄見に言おう。キスしてって言おう。
 そう思うのに、たっぷりのソープで肌を擦っても、皮膚の一枚下に張りついた弱い不快感は消えなかった。
 あの男が嫌いだとは今も思わなかった。バーではいい人だと思ったし、泊まるところがないから一晩過ごそうよ、と誘ったら、近くに友達の部屋があるよと言ってくれて、千空に触れるときもけっして乱暴にはしなかった。
 なのに、どうしてこんなにいやなんだろう。
 ため息をつきそうになって堪え、いつまでも浴びていたい気のするシャワーをとめてブースの外に出ると、小さい鏡の中からうちひしがれた自分の顔が見返してきた。
 途方にくれたみたいな表情。
 そこから頼りなく伸びた首の右側に赤い跡がくっきりついていて、千空はそこを手で覆った。──さっき、澄見が触れたのはこれだったのだ。
 淡い嬉しさにほどけかけていた心がきゅっと冷える。きっと澄見は呆れているだろうし、がっかりしているだろう。バスルームから出たら怒られるだろうし、千空の言い分を聞いてはくれないだろう。言い分といえるほどの理屈もないのは、千空自身がよくわかっていた。
 置かれていたバスローブだけを羽織って蹌そう踉ろうとバスルームのドアを開けると、澄見は暗い青のカバーのかかったベッドに腰掛けて煙草を吸っていた。出たはいいものの歩み寄ることもできない千空を一瞥し、ぽん、と自分の隣を叩く。
「おいで、千空」
「──でも」
「いいからおいで」
 二度命令されると逆らえなかった。千空が澄見のいうことで聞けないのはたった一つだけだ。
 足音を忍ばせるようにして近づき、少しだけ離れて澄見の横に座る。右側を澄見に見せなければいけないのがいやだった。でも隠せば、後悔していると思われる。
 あえて背筋を伸ばして座った千空を見やり、澄見が訊いた。
「ちゃんと全部洗えたか?」
「……うん」
「中も?」
 あっさり訊かれて羞恥で顔が火ほ照てった。ゴムしてたから平気、と掠れた声で呟くと、澄見が煙草を消した。ぎっ、とベッドの軋きしむ音に身体が竦む。俯いて立ち上がろうとしたら、振り返った澄見が肩を押した。
 背中からベッドに倒れ込み、逆らうまもなく両膝を掴まれて、ざあっと肌が粟立った。

■プライベート・サファリ▼
著者名:森本あき
イラスト:明神 翼
発売日:2014年10月11日(土)発売予定
価格:602円+税

「プライベート・サファリ▼」(著:森本あき) (本文p112~123より抜粋)

そうやって見ていると、よく視界に入ってくるのがジョーの姿。
 とにかく、いろんなところを回っている。キリンとたわむれたり、ゾウの耳を撫でていたり、ダチョウにずっとついてこられて、笑いながら走っていたり。昼間はぐたーっとしてるか、寝てるだけのライオンやトラの檻にも行って、何かを話しかけている。黒熊とチーターは起きているから、檻の前に座って、長い時間を過ごす。
 なんで、ジョーを、わざわざ双眼鏡で追ってるんだろう。
 そんな自分を不思議に思ったりもするけれど。自分が、いま、ルリとサマーのそばを離れられないから、ジョーになったような気持ちで、追体験しているのかもしれない。
 だいたい午前中いっぱい使って、ジープであちこちを回り、午後は散歩がてら、歩いていく。肉食獣のところには、飼育係がいないときは近寄らない。
 そういうところも、すごくかしこいと思う。
 狩りをするのは、彼らの本能だ。たとえば、人間が不機嫌なときに、ずっとしかめっ面をして、近寄るな、のサインを出したりする。そうすると、普通の人は、そばにいかない。機嫌が悪いときもあるよね、と放っておく。
 たまに空気の読めない人がいて、しかめっ面の人に果か敢かんにアタックする。なあなあ、機嫌直せよ、なんて、よけいなことを言って、にらまれるだけならまだしも、虫のいどころが悪ければ、胸倉なんかつかまれるかもしれない。
 その、胸倉をつかむ、に当たるのが、肉食獣の爪だったり、牙だったりするのだ。
 人間に飼われた動物は、たしかになつくし、野生のものよりも危険性は少ない。だけど、ゼロじゃない。外に向けて発表はしないけれど、動物園やサファリパークで、痛ましい事故はいくつか起こっている。それはすべて、過信をしたからだ。
 こんなに自分に慣れてて、仲がいいんだから、大丈夫。危害を加えたりしない。
 そんなことはない。機嫌が悪いライオンに近づいて、爪で体をえぐられることだって、十分に起こりうる。
 先輩に言われた、すごく印象に残っている言葉がある。
 動物を恐れるやつも、かといって、まったく恐れないやつも、飼育係には向いていない。
 肉食獣の爪や牙は危険なものだ。
 その自覚をしっかり持っていれば、ある程度、危険は回避できる。完全に、じゃないことが、悲しい。
 でも、もし、夏瑞がトラやライオンに爪を立てられたり、牙で噛まれたりしても、それはそれでしょうがないと思っている。
 その覚悟は、飼育係になったときから、ずっとある。
 ジョーは、俺が飼ったんだから、俺になついてるはず! とか楽天的なことを考えそうなのに、そうじゃなかった。きちんと動物の性質をわかって、絶妙な距離を置いている。
 一緒に回りたいな。
 ふいに、そんなことを思った。
 ジョーと一緒に、このサファリを回ったら、すごく楽しそうだ。いま、一番の望みは、ラクダに乗せてもらいたい。ジョーが乗っているところを目撃して、ああ、ぼくもやりたい! と、思わず、口に出してしまったほどだ。
 ルリとサマーが、びくっ、と体を震わせて、夏瑞の大声に反応していた。ごめんね、ごめんね、と謝ったものの、目が開いたとはいえ、視界がぼんやりしている状態の二匹には、かなり怖かっただろう。
 それは、すごく反省してる。
 とにかく、ジョーはこのサファリを管理して、そのうえ、動物との触れあいに時間を割さいている。たくさんの飼育係と獣医を抱えているものの、管理するのは大変なはずだ。
 だから、ジョーには頼まない。
「一番かわいいところは、ぼくが見届けるの。それに、ジョーが授乳できるとは思えない」
 夏瑞は、いたずらっぽく笑って言う。
 何度も、俺にも授乳をさせろ、と言われていた。そのたびに、断った。目が開くまでは不安だったし、ジョーのことをそこまで信頼できなかったから、というのもある。
 でも、この二週間、ずっと、この檻からジョーを見てきた。ジョーの動物への愛情を感じることができて、ようやく、ジョーにも授乳させてあげようか、と思えるようになった。
 ジョーは、授乳という言葉に食いつく。
「あのな、おまえはいつもそうやって却下するけど、俺はルリとサマーにミルクやりたくてしょうがねえんだよ。ずっと我慢してんだ。夏瑞がそばにいて、指導してくれりゃいいじゃねえか。だれだって初めてってのはあるわけだし、ものは試しだ、やらせてみろ」
「さっき、やったばかりだよ」
 ジョーの必死さがおかしい。そして、すごくかわいく思える。
 最近、ジョーのことを好意的にとらえることが多くなってきた。
 それがどうしてなのか、よくわからない。でも、悪い傾向じゃないことだけは理解できる。
 だって、飼い主とうまく連携できたほうがいいに決まってるから。
「ちえっ」
 ジョーが悔しそうな表情を浮かべる。
「よし、つぎのは俺がやる。それでいいな」
「うーん」
 夏瑞は少し迷うふりをした。でも、もう心は決まっている。
 自分がミルクを与えてるから、この子たちは元気に大きくなっていく。そのことを、すごく嬉しく幸せに思う。
 それを、ジョーにも味わってほしい。せっかく、ホワイトタイガーの赤ちゃんがいるんだから、経験しなきゃもったいない。
「わかった。いいよ」
 もったいぶって夏瑞がうなずくと、ジョーが、やったー! と両手を上に伸ばした。そのまま、夏瑞を抱きしめる。
「サンキュ!」
 夏瑞は、ただ呆然と、抱ほう擁ようを受け入れるしかない。
 なんで、抱きしめられてるの?
 そうは思うけど。
 これは、たぶん、ハグってやつだ。自分が過剰反応してるだけ。
「何時に来ればいい?」
「三時間後」
 一応、三時間おきに授乳している。人間の赤ちゃんと似たような感じだ。母親がいれば、いつでも子供が飲めるようにずっとお乳のところに子供を置いていて、目が開かなくても、好きなときに子供は飲める。でも、母親がここにはいないから、時間を決めてやるしかない。
 もちろん、足りなそうなときはあげるし、いらない、というしぐさをされれば、無理にはあげない。あくまでも、目安として決めているだけだ。
 いまはそれで、うまくいっている。
「わかった! よーし、いまから、練習するか!」
 ジョーは、ぱっ、と夏瑞の体を離した。
 あー、よかった。ハグが終わった。
 夏瑞がほっとしたのもつかの間。
 ジョーが夏瑞の肩に手を置いて、右頬、左頬とキスをしてきた。
 ええええええええ! これ、男同士でやるもの!? 映画で見たことはあるけど、実際、自分がされるなんて、思ってもみなかった!
 そんなことは口に出せず、夏瑞は、ただ、固まっている。
「また、あとで」
 ジョーは言いおくと、最後に、夏瑞の唇に軽いキスをした。そのまま、すぐに離して、ルリとサマーを、もう一度撫でると、ひらひら、と手を振って、檻を出る。
 残された夏瑞は、動けなくて。
 ただ、小さくなるジョーの後ろ姿を見つめつづけた。


「なんの意味もないよね」
 夏瑞は自分に言い聞かせる。でも、それだけじゃ、もやもやした気分が治まらなくて、すやすや寝ているルリとサマーに小さな声で話しかけた。
「ねえ、どう思う?」
 もちろん、答えなんて返ってこない。口にすることで、もしかしたら、すっきりするかも、とありえない希望を抱いているだけだ。
「習慣なのかなあ」
 海外に行ったこともなければ、いろんな国の習慣なんてものも知らない。ましてや、ここはどこともわからない場所。
 ありがとう、の気持ちをキスで表すのは当然で、みんながそうしているのなら、騒いだほうがおかしく思われるだろう。
 でもね、でもね!
 夏瑞は、ふう、と息を吐いた。
「初めてだったんだよね…」
 飼育係になりたい。
 夏瑞はそのために、たくさん勉強をしてきた。ちょっとぐらい、いいな、と思う相手がいなかったわけじゃないけど、だれかのために割く時間も余裕もなくて。
 飼育係として一人前になったら、彼女をつくろう。
 そう思っていた。
 でも、実際、いつ一人前になれるのかわからない。だからといって、休みの日は一日寝てるか、連休なら日本中の動物園に飛んでいくような生活をしている、いまの自分に、恋をする暇ひまも資格もない。
 そういえば、先輩たちから、おい、彼女ぐらいいないのか、なんてこと、聞かれたこともなかった。普段の会話も、飲み会でも、話すのは動物のことばかり。
 だから、とても心地よかった。二十三歳という年齢は、飼育係としたら若い。だけど、だれともつきあったことがない、と打ち明けたら、ちょっと驚かれるぐらいの年ではあるだろう。
 だれか紹介してやろうか?
 親切に、そう言ってくれる人も出てきたかもしれない。
 そういううっとうしさを感じずに過ごせる環境を、いまさらながら感謝した。あそこには、本当に動物が好きな人ばかりが集まっている。
 だけど、少しぐらい、恋愛関係の相談をしておけばよかった。
 ふいにキスされたんですけど、これってどういう意味だと思います?
 その答えを、だれかに教えてほしい。
 なんの意味もない軽いものなら、忘れなきゃいけない。
 でも、もし、意味があったら?
 あれが、普通のキスだったら?
 自分は、どうすればいい?
 夏瑞は、じっと二匹を見つめた。おなかがふくらんで、また引っ込んで。その繰り返しを眺めていると心が落ちつく。
 ああ、生きてるんだなあ。
 そのことが嬉しくて、ほっとして、そして、幸せすら感じる。
 トラの赤ちゃんが生まれたときも、そうだった。飽きずに呼吸をするところを見つめていた。仕事での悩みなんて、すぐに吹っ飛んだ。
 だけど、いまは、もやもやが消えない。
 あのキスは、いったい何?
 そのことばかりが、頭を占めている。
 答えが知りたければ、ジョーに聞けばいい。
 それが正しいことぐらい、夏瑞だってわかってる。
 でも、でも、でも。
 さっきのキスに意味はあったの?
 そんなこと、真面目な顔して問いかけられない。習慣だとしたら、ジョーはだれとでもキスしているだろうし、夏瑞にしたことすら忘れているかもしれない。
 ぼくだって、キスなんて慣れてるよ。気にしてないからね。
 そうやって見み栄えを張りたいと思うのは、悔しいからだろうか。
 キスをされてからずっと、そのことばかりを考えている。
 そんな自分が、女め々めしくていやだ。
 そして、一番の問題が。
「…いやじゃなかったんだよね」
 キスされたときに逃げられなかったのは、とっさのことだから、しょうがないとしても、そのあとで、殴ってやりたい、とか、ふざけんな! とか、そういう怒りに似た感情が湧かなかった。
 キスされたことを、普通に受け入れてしまっていた。
 だから、こんなに困っている。
 いやだったらよかったのに。
 もう二度としないで! と抗議できるぐらい、嫌悪感でいっぱいになれたらよかったのに。
「つぎに会ったとき、どんな顔したらいいんだろう」
 夏瑞は、二匹が眠っている柵にもたれて、寝顔を見つめた。
 かわいい、とは思う。
 愛しい、とも感じる。
 でも、心の中にあるおかしな気持ちは、どこにも行ってくれなくて。
 夏瑞は、大きくため息をついた。
 もう少しでジョーが授乳にやってくる。
 そのことがいやなのか、それとも、待ち遠しいのか、それすらもわからなくて。
 ただ、ため息をこぼすしかできなかった。


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