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「FUN'S PROJECT」×アニメイトタイムズのコラボインタビュー企画第7回 木村昴【前編】

アニメイトタイムズ×FUN’S PROJECT 特別企画 vol.7 声優・木村昴さんに聞く、劇団の作り方と役者としてのバイタリティ【前編・役者人生のスタート】

クリエイターやコンテンツホルダーとファンをつなぐサービス「FUN'S PROJECT」と、アニメ声優系ニュースサイト「アニメイトタイムズ」のコラボ企画「クリトーク!」。毎回、アニメ、マンガ、ゲームなどの業界で活躍する著名人のインタビューを連載中です。

第7回となる今回は、『ドラえもん』のジャイアン、『ヒプノシスマイク』の山田一郎といった人気キャラクターを演じている声優・木村昴さんの登場です。

木村さんといえば、声優としての活躍だけに留まらず、ご自身が座長を務めている劇団「天才劇団バカバッカ」での活動でも広く知られています。

そこで今回のテーマは、「劇団の作り方」と「役者としてのバイタリティ」について。前編では、木村さんの幼少期を振り返っていただきながら、ご自身の役者人生についてお話を聞いていきます。


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2018年は「これがやりたかった」ができた

──今日はよろしくお願いします。最近もお忙しそうですね。

木村昴さん(以下、木村):おかげさまで良い感じです!。わりと忙しくさせていただいてます。

──『ヒプノシスマイク』(以下、『ヒプマイ』)が忙しいときは休みがなかったというお話もされていましたね。

木村:『ヒプマイ』では、いろいろやらせていただいていますね。取材を受けさせていただくこともありますし。しかも、『ヒプマイ』に関してはラップも書かせていただいているので、その作業の時間もあります。

2017年に比べたら、2018年は『ヒプマイ』だけじゃなく、いろんなことをやらせていただきました。「これがやりたかった!」ができるようになったというか。

──「これがやりたかった!」ですか。

木村:僕も3年前くらいまでは週3くらいでお休みがあったんです。そういうタイミングで、師匠の関さん(関智一さん)がものすごくくたびれていたので「大丈夫ですか関さん? 休んでますか?」って聞いたことがあって。「休みたいよ」「流石っすね~」と話していました。

そうしたら関さんがスケジュール帳を見せてくれたんです。カレンダーになっているんですけど、全体的に赤かったので「関さんこれ、元々赤いカレンダーですか?」って聞いたら「違う」って言われて。全部スケジュールが埋まっているんですよ。「カッケェ~!」って思いましたね。

それを目標にしてたので、自分のスケジュールもカレンダーが埋まっていくのが嬉しいんです。白いところがあると、埋めたいなって。埋まっていくと「Foo~♪」って(笑)。

自分も師匠に自慢するんですけど、「見てくださいよ関さん、埋まっちゃってて」って。そしたら「あ、良かったね」と(笑)。

だから忙しくても、しんどいという感覚がまったくないですね。逆に嬉しいです。

──楽しい気持ちが先行しているというのは良いですよね。

木村:そうですね。語弊があるかもしれませんけど、“やらされている感”は全くないんです。シンプルに何でも楽しいです。

──(笑)。忙しくなれたのもこれまでの積み重ねの結果だと思います。

木村:そう言っていただけると嬉しいですね!

夢のステージ『アニー』への道筋

──今回は木村さんの幼少期から今を振り返っていただき、ご自身のクリエイティビティのヒントをお聞きできればと思っております。

木村:僕は、ドイツで生まれて7歳まで向こうにいました。7歳で日本に来た時に、日本語が全く喋れなくて。でも、インターナショナルスクールとかじゃなく、普通に地元の公立の小学校に入学したんです。そこで先生や同級生とコミュニケーションを取りながら日本語を覚えていきました。

その中で習いごとをしたらどうかと母が言ってくれて。両親とも声楽家ということもあって、それに近いことはしたいなと。両親は僕にずっと楽器をやらせたかったみたいで、5歳の時からバイオリンもやっていました。

でも両親がそういうことをやっているから、クラシックがすごく苦手で……。両親もクラシックのことになると厳しかったですし。

「やりたいこと何かないかな?」と思っていた時に、新聞に児童劇団の募集の広告が入っていたんです。それを見て、母も「いいんじゃないの」と言ってくれて。単純に面白そうと思って入団オーディションを受けたのが演技のきっかけですね。

児童劇団っていうのはレッスンがいっぱいあるんですよ。ダンスや歌、日本舞踊、タップダンスとかドラムのレッスン、お芝居もある。

それをやりながら日本語を覚えるのもありじゃないって、母が思ってくれて入団したんですよね。

──習いごとがいっぱい受けられるトータルセットみたいな?

木村:そうです。お得感があったんでしょうね(笑)。児童劇団も安いわけじゃないので。子ども心ではまったく気にもしなかったですし、今思えばけっこう母ちゃんも頑張ってくれたんだなって(笑)。

日本に来て全然お金がなくて、それでインターナショナルスクールとかじゃなく、普通の公立の学校でしたし。母が無理してくれたんだなと。お陰様で今があります。

──劇団では主にどういった活動をされていたのでしょうか?

木村:さっき言ったようなレッスンをやりながら、児童劇団内で年に2回くらいミュージカル公演をやるんです。ミュージカルは、これまで勉強してきたことがすべて発揮できるものなんですよ。

その公演が自分にとっては楽しみでしたね。出ることがずっと目標だった。

初めて出演したときには、超好きになっていました。そこからミュージカル俳優を目指すようになっていきました。

──ミュージカル俳優ですか?

木村:はい。劇団の中で5回くらいミュージカルに出演させていただきました。

2002年に、外の大きなグランドミュージカルに挑戦してみたいと思って受けたのがミュージカル『アニー』(のオーディション)です。合格して『アニー』に出たのが自分にとっての転機でした。

劇団内でやるミュージカルと外のグランドミュージカルは全然違ったんです。しょぼい言い方になっちゃいますけど、「世界広っ!」みたいな。「芸事深っ!」みたいな。ミュージカルってやっぱりすごいなと。何かひとつだけできても、できるもんじゃないと。

劇団内でやっていたミュージカルは、音源を流して、それに合わせてやるものでしたけど、『アニー』は生のオーケストラがあるんです。それに合わせてやるのにしびれちゃって。むちゃくちゃ大変でしたけどね(笑)。

オーディションのときは、レッスンでちょっとかじった程度のタップダンスで挑んだんですけど、まわりの子たちは生まれた瞬間からタップシューズを履いていたかのような人ばっかりなんですよ。

そもそも、僕は自分のタップシューズを持っていなかったですし。無謀だったと思いますね。『アニー』のタップキッズというタップダンサーの役を受けに行ったのに、タップシューズを持たずに行きましたから(笑)。

──言葉を選ばずに言わせてもらえば、よく受かりましたね(笑)。

木村:いやー、やばいところに来ちゃったって思いましたよ。オーディションもタップの先生がいて、子どもたちが20人くらいで大きなスタジオに入るんです。「じゃあ今から私が踊りますから見ててください」って1分くらい先生フリを見てすぐにやらされるんです。

「じゃあ音楽流しますから、3人ずつ前に出てきてやってください」って。「え? これでやるの?」と思いながら、まわりの子たちのフリを真似してなんとかやりましたね。でも全然できなくて。

それでも、子どもながらに児童劇団で叩き込まれたことがあったんです。それが、“子どもらしくいろ”ということです。

子役ってみんなませて行くんですよ。だから子どもらしくいなさいと。気取るんじゃない、にっこりしていなさいということですね。

自分の番になって、「今じゃん」と思いました。もうわけ分かんないしフリも何もできないけど、とりあえずむちゃくちゃ笑顔で踊りました(笑)。なんとなく覚えているところだけ決めて、満面の笑みで。

そうしたら、なんと一次審査に通ったんです。

──それはすごい!

木村:一次審査に受かってから次の審査まで2週間ぐらいあったんですけど、「母ちゃんやばい。すぐ何とかしてくれ」って言って。

地元から少し離れたタップスクールに駆け込んで、「頼むから2週間で俺をタップダンサーにしてくれ」とお願いしに行きましたね(笑)。

先生も先生で「そういう事ならじゃあ一肌脱ぐわ」と。「タップシューズまずは一緒に買いましょう」とタップシューズを買いに行って、タップダンスをみっちり教えてくれました。

そのおかげで、二次審査からは一応それなりにかっこがつく程度にはできるようになって、三次審査で合格いただきました。

その時の審査員の方に「なんで僕だったんですか」と聞いたら「笑顔が素晴らしかった」と言われて。「これはキターッ!」と思いました(笑)。

──計算通り!(笑)

木村:でも、そこから地獄の日々が始まりまして……。

やっぱり子役は厳しいんですよ。『アニー』は特に演出家さんが厳しいことで有名なんです。本番前にはTVで特番が組まれるくらい人気でしたし。そこでの稽古風景で演出家さんが子どもたちにめちゃめちゃ厳しく指導するシーンがよく話題になっていました。

幸い僕の年は演出家さんが交代されて、ブロードウェイからアメリカ人の演出家さんが担当することになっていたんです。なので、マイルドになるのかと思いきや。

笑顔で受かったものの技術がないので、稽古で全然追いつけないんですよ。よく聞く話かもしれませんが、「お前の代わりは他にいくらでもいるんだ!」「やめちまえ!」みたいなことを本当に言われるんです。子どもたちは「もう1回やらせてください!」って言い返す。

しかも、稽古が終わっても「昴くんだけ残りなさい」って。でもおかげでタップはめっちゃ上手くなりました(笑)。

でもやっぱりミュージカルって凄いなって思いましたね。しんどかったぶんだけ、ステージに上がった時に感じるものがありました。これは、本物しか上がれないステージなんだなと。

どれだけハリボテでも構わないから、いかにして本物を演じられるかということは、幼心ながら感じました。

──ちゃんと人に見せられるものをやる、ということですね。

木村:そうです。中途半端じゃダメですし、好きじゃないとダメ。本物ぶっていましたね(笑)。そうじゃないと駄目ですから。そういうのは『アニー』で鍛えられたと思います。

──その達成感を感じられたのはいつですか?

木村:公演期間中は、ほぼ時間がなかったので、終わってしばらくして次の公演が決まった時くらいに感じました。「俺はあれに出てたんだな」と。

『アニー』に出演した子どもたちは、“アニーズ”って呼ばれるんですけど、みんなで翌年の後輩たちの公演を観に行くんですよ。自分が出演しているときは客席で見たことがなかったけど、はじめて観客席で見て、これはすごいなって。

その時かもしれません。「ミュージカルって面白い」と実感が湧いたのは。

──そこからはいくつか公演に出演することになるんですね。

木村:はい。新国立劇場でやっていたオペラの『魔笛』とかにも出演させていただきました。パパゲーノって主人公がいるんですけど、その子ども役で。最後だけちょっと出る役なんですけどね。

その他にもミュージカルをいくつかやらせてもらって。だから自分はミュージカル俳優になるものだと思っていました。声優になるなんてマジで思ってなかったですね。

関さんの一言を真に受けて劇団結成!

──子役時代に芸事に対するマナーみたいなものを叩き込まれたと思います。その経験は今の劇団でもいきていますか?

木村:めちゃめちゃいきています。まだまだ小さい劇団だし、無謀な挑戦ですが『アニー』くらいの公演ができる劇団になりたいと思っています!それが旗揚げの時からの劇団員全員の共通目標なんです。

劇団立ち上げから10年で銀河劇場でグランドミュージカルをやろうと。それが僕らの目標だったんですよ。まぁ無理でしたけど!(笑)

──(笑)。まだ旅の途中ということですね。

木村:そうですね。いつかは銀河劇場で!

──ご自身の劇団「天才劇団バカバッカ」の立ち上げのお話も聞ければと思います。

木村:声優デビューしてからは学業との両立だったんですよ。高校を卒業するタイミングで、役者として生きていくことは決めていたので、師匠の関さんに相談しに行ったんです。

「高校を卒業したらいっぱしの声優になりたい。365日、お芝居に携われる環境に身を置きたいんです」って。

あわよくば、関さんの劇団や事務所に入れてくれないかっていう気持ちもあって「劇団をやってみたいんですよ。劇団に入ってみたいです」と。

そうしたら、関さんが「じゃあ自分の劇団作んなよ」って言ったんです。思っていたのと全く違った返答だったので「え?」って感じでしたけど(笑)。

──『アニー』の時とは違って予定通りにいきませんね(笑)。

木村:まさか自分でやるという考えはありませんでしたね。それまでは、ミュージカルって自分でやるものじゃなく、“出させてもらう”ものだったんです。狭き門を頑張ってくぐり抜けた先にステージがあるって。

マジビビりましたね。でも、この人が言うんだからきっと何かとんでもないメッセージがあるんだと思ったんです。「多分なんかすごいこと言われている気がするぞ、俺」みたいな(笑)。

勝手にそんなモードに入っちゃって、「ヤバイ、その手があったんですか! 分かりました。劇団作ります!」って言って、高校卒業式の次の日に友達を集めて「お前ら……劇団をやってみないか?」で作ってしまいました。

偶然、一緒にミュージカルをやっていた友達もいたし、脚本を書きたい人もいたんです。そこから、高校を卒業したばかりの子どもが、「じゃあ劇団員が必要だよね」と無い知恵を絞って劇団員を集めていきました。

前編はここまで。次回の中編では、勢いで旗揚げした劇団に待っていた苦難の連続について語っていただきました。次回もお楽しみに!

↓中編はこちらから!
コラボインタビュー企画第7回 木村昴さん(中編)

[インタビュー/石橋悠 写真/相澤宏諒]

 

1989年(平成元年)生まれ、福岡県出身。アニメとゲームと某王国とHip Hopと自炊を愛するアニメイトタイムズの中堅編集者兼ナイスガイ。アニメイトタイムズで連載中の『BL塾』の書籍版をライターの阿部裕華さんと執筆など、ジャンルを問わずに活躍中。座右の銘は「明日死ぬか、100年後に死ぬか」。好きな言葉は「俺の意見より嫁の機嫌」。

この記事をかいた人

石橋悠
1989年福岡県生まれ。アニメとゲームと某王国とHip Hopと自炊を愛するアニメイトタイムズの中堅編集者。

担当記事

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