『ヤマト』と共に浮上してきた“アニソン界のレジェンド”の隆盛! ささきいさおさんデビュー60周年記念スペシャルインタビュー【第2回】
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などアニソンの名曲や特撮ソングを数多く歌ってきたアニソン界のレジェンド、ささきいさおさんが2020年にデビュー60周年を迎えました。そんなアニバーサリーイヤーに、『ささきいさお デビュー60 周年記念スペシャルライブ』開催をはじめ、3月からスタートした『機界戦隊ゼンカイジャー』の挿入歌「全界合体!ジュラガオーン」を、「アニソン界の女王」こと堀江美都子さんとデユエットするなど精力的に活動されています。
ささきさんのデビュー60周年を祝して、アニメイトタイムズでは約100分に及ぶロングインタビューの模様を3回に亘ってお送りしています。Part.2となる今回は、音楽活動やアニソンを歌うことになったきっかけ今話題の『機界戦隊ゼンカイジャー』の挿入歌「全界合体!ジュラガオーン」について、そして5月23日に開催を控える「60周年記念スペシャルライブ」への意気込みなど語っていただきました。
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第1回 「アニソン界のレジェンド」が歩んできた軌跡と今、そして未来を語る!
服部良一先生からのひと言で歌手デビュー! 歌の勉強をし直している時にアニソンのオファーが!?
――第1回では、60年間のターニングポイントや、リリースしたばかりの『機界戦隊ゼンカイジャー』第2話挿入歌「全界合体!ジュラガオーン」について伺いましたが、今回はよりピンポイントなお話をお聞かせください。そもそも、ささきさんが音楽活動を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
ささきいさおさん(以下、ささき):僕は機械が好きで、ラジオなど作っていました。そこにハイファイブーム(昭和に起きた高音質のオーディオブーム)があって、スピーカーやアンプ、レコードプレイヤーを作ったり、組み立てたりして。
そのオーディオシステムが完成したので、試聴するためにレコード屋さんに行って、「今、流行っているものをください」と言ったら渡されたのがエルヴィス・プレスリーのレコード「I need Your Love Tonight」で。聞いてみたらヤミツキになってしまって。
覚えてキャンプや修学旅行でよくアカペラで歌っていたら、友達が勝手にのど自慢大会に申し込んでしまって、せっかくだからと出場したら合格の鐘が鳴って。日本が誇る音楽家の服部良一先生から「君は東京のプレスリーだね」と言われたことがきっかけで、まだ高校生の時、日本コロムビアからプレスリーの「本命はお前だ」のカバーでデビューすることになりました。
デビュー後すぐに「日劇ウエスタンカーニバル」という今でいう日本で有数の大きな音楽フェスに出演することになり、映画出演のオファーまで舞い込んで。
――「和製プレスリー」とも呼ばれていたそうですね。
ささき:当時は歌や映画などアメリカ文化が広がっている中で、僕の風貌が日本人離れしていたことも合っていたのか、ホリプロ創業者の堀 威夫さんと当時のディレクターがすぐに「和製プレスリー」でイケると思ったそうです。でも歌の勉強をまったくしないまま、歌手になってしまったので、当時は歌がヘタクソで。堀さんの自叙伝で、あまりにも僕の歌がヘタすぎて、恥ずかしくなって外に逃げたと書かれていたくらい(笑)。
最初は仕事も順調だったけど、ロカビリーブームが終わると人気もなくなって、「歌をいちから勉強しよう」と思って発声からやり直したけど、ちゃんと形になるまでにはかなり時間がかかりました。
でも人間の声は30歳を過ぎてから固まるらしいんですよね。自分もその時期にやっていたことでうまくいったと思うし、その頃にちょうどアニメソングの仕事をもらえるようになって。そこから次々とアニメソングの仕事がきて、当時はアレンジが決まる前に譜面を読んで覚えて、歌い方を決めてレコーディングに臨まなくてはいけなかったんです。「この間、この手を使ったから今度はちょっと変えてみようかな」とか、できないピアノを一生懸命弾いて練習しました。
また先生によって違うアプローチやジャンルの曲を要求されることもあって、国民栄誉賞を受賞された吉田 正先生から急に「ささき君、歌ってくれる?」とお声がかかったりして。光栄なことではあるけど、それだけ努力をしなければいけないわけで、今にして思えばその時期が一番、歌の勉強をしていたと思います。