
「その違いについても楽しんでいただけたら、この作品の世界が重層的に楽しめるのではないかと思います」──アニメ『違国日記』構成・脚本:喜安浩平さんインタビュー【連載第3回】
2026年1月より放送中のTVアニメ『違国日記』。人見知りの小説家・高代槙生(CV:沢城みゆき)と、親を亡くした槙生の姪・田汲朝(CV:森風子)が織りなす同居生活は、日々のささやかな出来事を通して、さまざまな感情の揺れや変化を描いています。
アニメイトタイムズでは、本作の放送をより深く楽しむための連載インタビューを実施。第3回となる本稿には、構成・脚本を担当された喜安浩平さんにご登場いただきました。
「『書くこと』が得意ではない」と語る喜安さん。それでもなお筆を取り続ける理由とは。TVアニメ『違国日記』の制作秘話から、日記にまつわる個人的な思い出まで、たっぷりとお話を伺いました。
「作品が導いてくれる方向に歩いていきました」
──多くの作品で構成・脚本を務めるなかで、どのような心持ちで“文字を書く”ということに向き合っているのでしょうか。
構成・脚本 喜安浩平さん(以下、喜安):本当に、素直に思ったことを書いているので……少なくとも原作をお預かりして脚本に起こすときは、その原作の持っている空気や波のようなものが、必ず私に影響するんです。
だから、きっと僕が書いたというよりは、原作や打ち合わせの時にした皆さんとの会話がそう書かせた、の方が正しいと思います。なので、コツみたいなものもあまり持っていないし、決まった方法論もないんです。
──放送されたばかりの第7話のエピソードの中で「書くのって、とても孤独な作業だから」という槙生のセリフがありました。
喜安:本当に孤独な作業ですよ。こんな仕事をしている僕がこういうことを言うと、みんな「またまた……」って感じになってしまうと思いますが……僕、本当に書くことが得意じゃないんです。
──またまた……。
喜安:(笑)。書くこと自体はむしろ苦手で……苦手といいますか辛い作業なんです、一人で考えなきゃいけないから。ある夜には、その日に書いた何の生産性もない一行を見て「こんなものしか書けなかったな」と、落ち込んだりしますから。槙生さんの言うとおり「孤独な作業」だと思っています。
ただ槙生さんと僕は、書いているものが決定的に違う。僕はシナリオや台本を書いていて、「視聴者や観客の手前にいる誰かに渡す前提で書くもの」を作っているんですね。それを受け取ってくれる人たちと話し合いながら作っていくから、お話ししている時間が僕にとっては救いなんです。
槙生さんは小説家、文筆家だから、制作中にお話する相手はきっと限られてくると思うんです。きっと編集さんくらいなのかな。だからより一層、孤独の度合いは強いんじゃないかなと思います。小説が書ける人を尊敬しています。
小説って結局、書き上げてこないことには相手にすらされないじゃないですか。「なんか書いてみたいんですけど」って言った時点ではお金は何も入ってこないし、本当にただ一人で書いて、完成したものを「読んでください」って持っていくしかない。しかもその作業にずっと取り組んでいる。
本当にずっと、孤独と向き合っているっていうことなんだろうなと思います。なので槙生さんもタフな人だなと僕は思っています。
──たしかに、槙生がお仕事をしているときは、同居している朝とも会話をしないですよね。
喜安:でも、もしかしたら朝のような人が槙生の生活に割り込んできたことが、彼女のイチ創作者としてのフェーズをもう一段上げる可能性がありますよね。もちろん朝の登場によって、やりづらさを感じることもあるとは思うのですが……。
そういうものを受け入れていくと、書けるものが増えていくかもしれないし、自分では思いもよらないものや文体に出会うかもしれない。創作者としての槙生さんにも、朝はきっと良い影響を与えているんじゃないかなと勝手に想像しています。
──昨年9月に喜安さんが発表されたコメントは「最終話の脚本をお渡ししてから2年と半年です」という一文から始まりました。
喜安:もちろん変な意味ではありませんが、もうだいぶ前に自分の手元を離れた感じがあって。何て言えばいいんだろう、しばらく会わなかった親戚の子が、いつのまにかめっちゃ大きくなってたみたいな(笑)。
──(笑)。
喜安:なんかもう、すごいね!と(笑)。感慨深さがあります。なので自分のシナリオがどうなったか、などの心配事はちょっと脇に置いて「主題歌いいなあ」とか「PVでは、先々のシーンもちょっと見えてきてるんだな」とか、純粋に楽しい気持ちで見ています。
このアニメが作られている現場は今も常に稼働していて、皆さんが常に積み上げてくださっている。そんな空気を感じています。
──そんな本作の脚本はどのように制作されていったのでしょうか。
喜安:私は基本、何においても原作原理主義者なので、原作があるものに関して、極論「変えないでいい」と思っているんです。
だけど、紙に描かれているものを映像に変換するということは、伝える手段が変わるということで。どうしても、申し訳ないんだけれども変えなきゃいけない部分があるんですね。今回の『違国日記』においても、作品の持っている雰囲気を壊したくはない。でも、ママの状態で映像に起こすことはかなり難しいタイプの原作だと思いました。
しかも「映像に起こすだけ」ではなくて、TVアニメシリーズですから、毎週見てもらうため、不意にこの番組に出会った人の目を奪うため、ということも考えた時に、映像的な加工が必要だろうと考えました。なので、打ち合わせの際、ヤマシタトモコ先生にも「アニメーションにすることを意識して、手を入れさせていただきます」とお伝えいたしました。
その結果、原作に描かれているシーンの順番を変えさせていただいたり、セリフとセリフ、コマとコマの間の空気感みたいなものを足したり、あるいは逆に引いたり。色々と変更させていただいています。
ヤマシタさんはとても丁寧に脚本を読んでくださり、一行の中でも「これはどういう意図ですか?」と、問いを投げてくださいました。「原作の、このシーンをアニメとして描きたいです」というこちらからの相談に対して、「このような文言ではどうでしょう」というご提案をいただいたところもありましたし、ご担当編集の方含めて、原作サイドの皆さんもシナリオ作りに積極的に参加してくださいました。
──大城美幸監督との打ち合わせや会話で印象に残っていることはありますか?
喜安:大城さんとは、込み入った話をした記憶があまりないんですよね。もう顔を合わせた段階で「じゃあこんな感じで作りましょうか」と。見えているビジョンが比較的近くて、同じようなことを考えていらっしゃるんだなと思っていました。だから個人的には、制作が難航した記憶はないんです。
──脚本の制作は、いつもスムーズに進むわけではなく、当然難航することも?
喜安:そういう作品もありますね。変な言い方ですが『違国日記』についてはあまり働いてないといいますか。脚色しようしようとせずとも素直に書くことができました。
TVサイズで見ることを意識した印象の付け方などは考えましたが、できるだけ変えたくないという気持ちが強かったんです。ほかの制作陣も当然、原作の良さを理解して参加されているから、認識の齟齬がなかったのだと思います。
──作品に導かれるように、といいますか。
喜安:おっしゃる通りです。作品が導いてくれる方向に歩いていきました。















































