『超獣機神ダンクーガ』の奥田誠治が語る「面白すぎるアニメの仕事!」

アニメ業界歴半世紀の『超獣機神ダンクーガ』『ドリームハンター麗夢』の奥田誠治が語る「面白すぎるアニメの仕事!」

1963年に放送された『鉄人28号』の制作でアニメ業界へ入ったアニメ演出家の「奥田誠治」さん。古くからのアニメファンにとっては、『ドリームハンター麗夢』(1985年)の監督(アダルトヴァージョン:隈崎悟名義/一般バージョン:奥田誠治名義)や『超獣機神ダンクーガ』(1985年)の総監督を努め、関わった仕事を上げればきりがないほど。その数、なんと約1000作品以上。しかも、アニメ業界歴50年以上で、70歳を超えた現在も現役のアニメ演出家です。

そんな奥田さんが自分の半生以上を過ごしたアニメ業界について綴った自伝『アニメの仕事は面白すぎる 絵コンテの鬼・奥田誠治と日本アニメ界のリアル』2019年12月20日(金)に発売されます。

自伝の話に合わせて、奥田誠治さんにお話を伺う時間をいただきました。著書の内容に触れ、奥田さんがアニメ業界に入り様々な心情を伺いながら、自分らしく過ごした半生と、今でも現役である理由などをお聞きしました。

奥田誠治 プロフィール

1943年4月26日生まれ。『鉄人28号』にてアニメ業界へ入り、TCJ、タツノコプロ、アートフレッシュを経て、現在はフリーで活躍。監督作品として『超獣機神ダンクーガ』『ドリームハンター麗夢』『横山光輝 三国志』『銀河戦国群雄伝ライ』などがある。最近では海外との合作作品を中心に、アニメシーンの最前線で絵コンテを描き続けている。

著書 情報

発売日:2019/12/20
定価:1800円+税

目次

「アニメは映画だ!」の想いで、がむしゃらアニメ道を突き進んだ

――この本の制作にあたって、きっかけから教えてもらえますか。

奥田誠治さん(以下奥田):きっかけはね、とにかく自分の知っているアニメの記録を書き残しておきたいと思ったんです。いろんなアニメ本が出たりしてますけど、結局それは、評論家の目を通した目線であって、制作現場の目ではないんですね。だから我々からしたらニュアンスが違う。それじゃ本当のことを書き残そうかなというのが始まりです。

また、「手元に残っている文章を集めて、時系列にまとめてみたら面白いんじゃないだろうかという」気持ちもありました。実際アニメを作る現場は面白かったですから、その歴史の話自体も面白いと思ったんですよね。いまふりかえってみても、我々がアニメを最前線で作っていた時が、最も活気のある面白い時代だと思うし、その中心で生きていましたしね。

――1960年代に、アニメ業界に入られていますが、奥田さんはどんな気持ちで業界に入ってきたんですか?

奥田:基本的に私はアニメという「ジャンル」で捉えてなくて、アニメっていう「映画」だと思ってるんですよ。それがちょっと今の世代とは違うかもしれませんね。

やっぱり映画を作りたいっていうのが我々の世代だったと思うんですよね。キャラクターがいてキャラクターが生きて、キャラクターが喋ってですけど、これって映画と同じなんです。なので、アニメを作るというよりも映画を作る気持ちが大きかったと思いますね。

あと当時の昭和30年代ごろを振り返ると我々の世代は、みんな貧しかったですよ。仕事を始めた頃の、当時の貧しさって均一な貧しさなんです。みんないっしょに貧しいと、だれも自分の貧しさを恥じることもないですしね。また、経済も活気があって、頑張れば報われるっていう時代の流れだったこともあって、がむしゃらに仕事しましたね。だからこそ頑張れたみたいなところはあります。

時代とともに生きてきて、いろんな経験をしました。私自身、時代の中で意外とその楽しい想いもたくさんしました。本にも書きましたが、アニメの仕事の中で、当時出始めのコンピュータグラフィックに関わったりもしましたし、初代のプレイステーションにも関わったんですよ。

いろんなチャレンジができたのも、がむしゃらに仕事したことと並行して、時代性もあるかもしれませんね。これから先大変なのはそういう面白いことが、我々の時代以上に自分で作り出さないといけないんじゃないかなと思います。

 

奥田さんのアニメ仕事のスタートは、『鉄人28号(1作目)』(1963年〜1965年)。

「能力」と「才能」の間にある奥田流自由な生き方!

――実際書籍を読ませていただくと、CGへのチャレンジや3Dゲームへの協力、そして海外での制作経験など、普通じゃない体験を数多くされていますね。奥田さん自身、次々と新しいものにチャレンジして行ったように思いますが、その気持ちはどこからきたんですか?

奥田:新しいものは、面白いですからね。「とにかく面白いことをやりたい」「面白く生きたい」みたいな気持ちからです。どちらかというと成り行きですね。その都度面白いことをやりたいとおもって、自然とそっちに向かった感じです。

――新しいことをたくさんチャレンジできた、チャンスってどこからきたんでしょうか?

奥田:能力無かったら仕事も来ないですが、運が良かったっていうのもあります。半分は運かな。まぁ、能力と運ですかね。

後は、人脈ですね。人脈っていうのは有り難いもんです。今の若者は、何で人と親しくしないのが不思議。私もどっちかっといえば内向的な性格ですが、才能のある人には、喰らいついていかないといけないんで、がむしゃらで喰らいついて行きましたね。そうすると、相手は何かを与えてくれるんです。この関係はすごく面白かったですよ。

――人付き合いもチャンスでありチャレンジってことですね。奥田さんは、3DCGが出てきた時にいち早く参加していますが、周りの方々は、3DCGに関してはどんな受け取り方だったんですか

奥田:周りのアニメ制作者は3DCGに全然興味なかったです。ただ、3DCGに関わって分かったのは、3DCGは才能を活かすためのツールだなということ。手描きの画は自分の能力だけど、3DCGを使えるのは道具を使えるのと一緒って気づいたんです。

当時は、「CGであれば何でもできるだろう」みたいな安易な考え方もあったけど、その先で何ができるかはその人の能力にかかっているんだなと思いますね。なので、3DCGもコンピュータも才能の代わりにはならないです。能力(後天的に手に入れる力)を引き出すツールではあるけども、才能(素質として持っている大きな力)にはならない。

あと、シナリオだけなら能力でも書けるんですけど、画は能力だけでなく才能もないと良い物が作れないです。画って、やっぱり特殊なもんですから。これから先の時代になっても、画に才能が必要なのは変わらないと思いますね。

――画の才能はどうやったら伸ばすことが出来るんですか?

奥田:伸びないです。いやもちろん訓練で能力は伸びますけども、才能のある人には叶わないんです。

私は原画を諦めて演出(絵コンテ)に生きようとしたのは、周りに沢山の天才たちがいたからです。そういう天才たちは、すでに認知機能が普通の人とは違うんです。

私も原画としてはAの上クラスだったと思うんですけど、そこから天才たちとは越えられない何かが存在します。だから私は、自分の才能のレベルも分かっていましたよ。能力や才能については、謙虚じゃないと上手く行きませんからね。

――演出(絵コンテ)の方は後天的に勉強すればうまくいくもんですか?

奥田:演出(絵コンテ)は、総合力でなんとかなります。ですが、引き出しが少ないと駄目ですよね。私もすごくたくさんの映画を観ていました

ただ、周りの才能のある人達も、日常的に映画を観て勉強していました から、才能があるだけでなく、努力や向上心を含めて「この人は凄い」と。ここでもまた謙虚になれましたよ(笑)。

 

『ドリームハンター麗夢』(1985年)では、奥田さんが「原作・脚本・監督」を担当されている。
※上記は、『ドリームハンター麗夢』を原作にしたコミックス版。

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