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科学アドベンチャーシリーズ最新作『アノニマス・コード』発売記念:志倉千代丸さんインタビュー前編|現在のアニメ界、そして未来のアニメ界の行く道は?

『カオスヘッド』や『シュタインズ・ゲート』など企画・原作を手掛けた「科学アドベンチャーシリーズ」のゲームはすべてアニメ化、更に音楽クリエイターや小説家など様々な顔を持つ志倉千代丸さんによるゲーム最新作『アノニマス・コード』が7月28日に発売!

コンピュータの誤作動から全世界の防衛システムが暴走し、大規模災害が起こった「サッドモーニング」から1年後の2037年が舞台で、ハッカーとして依頼を受け、事件を解決していたポロンがあるきっかけで巻き込まれた事件がやがて世界を揺るがす大きな出来事につながって……。

「科学アドベンチャー」シリーズは現実に起きたり、ネット上で話題になった事件がモチーフの1つとして織り込まれているリアルとファンタジーの境界線が毎回描かれています。ネットスラングで「名無しさん」を意味し、ハッカー集団の名前としても有名になっている言葉「アノニマス」のコードとは? キャッチコピーの「―神を、ハッキングせよ」とは? 発売前から多くの謎が提示され、ゲームファンや科学アドベンチャーシリーズファンの間で話題になっています。

そんな『アノニマス・コード』の発売を記念して、本作の企画・原作を手掛けるほか、主題歌の作詞作曲など音楽プロデュースも担当しているMAGES.代表取締役会長の志倉千代丸さんにインタビュー。その模様を前後編に渡ってお送りします。

前編となる今回は、ゲームやアニメの企画・原作、楽曲制作や音楽プロデュース、小説家など多方面に活躍する志倉さんのクリエイターとしてのスタート、そしてアニメ、ゲームなどのエンタメ界の現在、そして目指すべき未来について語っていただきました。

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エンタメやクリエイティブに興味を持ったきっかけは幼少期に習った手品!?

――30年以上に渡って、ゲームやアニメ、アイドルのプロデューサー、クリエイター、小説家など幅広く第一線で活躍されていますが、その原動力や発想の源はどこにあるのでしょうか?

志倉千代丸さん(以下、志倉):小学生の時、父親が芸能の仕事をしていたのですが、、連れて行ってもらった現場でプロのマジシャンの方によくかわいがってもらっていました。色々なマジックを教えてもらったりしているうちに、僕もマジックにハマって、友達の前でやってみせたら喜んでくれたり、驚いてくれたり、その反応を見るのが嬉しくて「誰かに楽しんでもらう為の仕事」として、ごく自然にエンタメ全般へ興味を持つようになりました。

今、こうしてお仕事をさせてもらえるようになったことが奇跡のように感じている毎日なのですが、そんな世界線へと分岐させた可能性として、考えると2つの要因があるように思います。

1つ目は恐らく小学1年生の頃から始まるエピソードなんですが「たまたま実家にピアノがあった事」なんです。確か父親が誰かから頂いたものだったと思うんですが、志倉家では完全にオブジェだったピアノを急に独学で触り始めて、それとなく耳で感じる音の明暗や、喜怒哀楽のような感情さえも伝えてくる「音」への興味です。その理由や構造が気になれば、教本で調べるような行動パターンが楽しくて「音感」に対して敏感に反応するようになった事です。

もう1つはまさしく個人的には奇跡だったんですが、コンピュータ雑誌の付録だった紙に印刷されただけのコンピュータキーボードを、プログラマー気分タイピングごっこするのが楽しくて毎日遊んでいたら、ボロボロになってしまったんです。そんなある日、近所の電気屋さんが親と何やら話し込んでいたいまして。まさかとは思いましたが、本当にまさかまさかのプレゼントとして、小学六年生だった僕に与えてくれたんです。サンタさんすら来た事ないのに!きっかけは恐らくボロボロの紙キーボードに見かねて、という事だったと思うんですが、本当に衝撃でしたね。

そういった流れで、まだエンタメとも言えないような生まれたての二刀流人生が動き出しました。つまり世界線変動の要因は「音楽」と「コンピュータ」です。テレビゲームが大好きだった僕は、当然のようにコンピュータを駆使してあこがれのアーケードゲームをイメージしながらも到底それらには及ばないようなオリジナル作品を作っては、友達を呼んで、僕の作ったポンコツゲーム縛りでゲーム大会を開いたりして楽しんでいました。優勝賞品なんかも自分で用意していましたね(笑)。その当時はそこまで具体的な自覚はなかったんですが、「ゲームを遊ぶのは面白いけど、自作したゲームで喜んでもらえる事の方がもっと楽しくて、快感のような喜びがある」と。後にその感覚が増していく頃に気付きます。今思えばあの当時の、どうしようもない僕の自作ゲーム大会に、よくぞ参加してくれたもんだなぁと、今思えば友人達にはとても感謝しています。

プログラムに触れ始めたのはファミコンが発売される前年の1982年。もちろんこの年こそが、例の奇跡の起こった頃。小6にして二刀流の僕ではありましたが、とにかくアーケードゲームにとても憧れていて、二刀流も早々終わるくらいの熱量でした。セガさんやナムコさんのゲームやキャラクターが特に好きで、成人式を終えた頃には、少しずつですが当時憧れていた作品の基盤集めに人生をかけていました。ベットの下に広がるゲームセンター。「オトナって最高だな!」と感じた最初の瞬間が、この時だったと思います(笑)。こうしてアーケードゲーム大好き少年から、いざ青年となったわけですが、アーケード基盤収集には当たり前のように金銭的な高い壁が常に立ちはだかっています。こうなったら「本物」ではなく「移植作品」でも良いから、気軽に家庭でもプレイできないか?と考えるわけです。しかし、当時の家庭用パソコンのスペックと、それよりもスペックの低い僕の能力ではお話になりません。いろいろと試行錯誤をしてみたものの到底、というか全くの別モノなわけです。唯一の頼りは『マイコンBASICマガジン』(個人ユーザー向けのパソコン誌)に掲載されていた僕よりもはるかに優秀な、紙に印刷されたプログラムでしたね。毎月必死に打ち込んでは、多少自分なりに改良を試みた程度で「これはもう僕の作品である」と、とんでもない勘違いをしつつも、それらが学びになっていたのは間違いないですね。

パソコンにコマンドを打ち込むと何かしらのレスポンスがあって、それ自体が僕にとってはアドベンチャーゲームみたいな感覚で面白くて、他人のソースを借りながらも、何となくゲームらしくなってきた頃にはもう中学生になっていましたね。もちろんピアノもかろうじて続いていました。いよいよこのあたりで二刀流だった「コンピュータ」と「音楽」は、テクノロジーの進化も手伝って合流し、それまでは無かった新しい可能性を生み出します。それが僕にとってのコンピューターミュージックの始まりです。

その後、『ヒューマン』というコンシューマーゲームメーカーに入社。入社早々に決まった担当作品が後にシリーズとしても展開をみせた「ファイヤープロレスリング」という作品です。厳しい上司の下で必死に作曲し、プログラムへの書き換えを繰り返す毎日でした。上司が求めるハードルを超えるのは大変でしたが、ハードの制限を踏まえての作品作りはとても楽しく感じていたし、当時のデジタル音楽としてはある意味で最前線の環境だったと考えれば、あの時代に得られた経験値は凄まじく、今でも未熟ですが、それでも僕を育ててくれたのは紛れもない事実だと思います。山崎先輩の厳しさも、きっと愛ゆえだったのかと。あ、名前言っちゃった(笑)。いやー、スゴイんですよ。プロレス愛が。勝手に命名するなら「天才プロレスバカ野郎」って感じです。この記事、山崎さんにも読んでほしいなぁ(笑)。

バンド活動から選ぶ側へ。ゲーム音楽からキャラソンまで幅広く手掛け、あの大御所事務所から演歌制作のオーダーも?

――楽曲の制作やプロデュースなど音楽的な活動をされたり、興味を持たれたきっかけは?

志倉:話は中高時代にタイムリープしちゃいますが、調子にのってバンド活動をはじめました。「レコード会社にデモテープさえ送れば、即デビューだろう」なんて、とんだ勘違いしているレベルで調子にのっていた。と言えば、その程度は伝わりますかね?(笑)。だって当時、ゴダイゴやYMOのような、生演奏とデジタルサウンドとを同期させてライブ活動をしていたバンドなんてほとんどいなかったし、僕はデジタル音楽で生計をたてている現役バリバリ、プロ中のプロですよ?こんな感じです(笑)。結果、どこからも採用されることなく、「どうして誰もわかってくれないんだ?あ!なるほど。音楽が進化系すぎてきっと理解不能なんだ」と。まだ…こんな感じです(笑)。そこで「選ばれる側じゃなく、選ぶ側になったほうが早いのでは?」と思って、「音楽を選ぶ側を目指すには?」と考え始めました。計り知れない勘違いと、とてつもない自信を武器に、行動が始まります。まずはヒューマンからの退社。目指すなら、一旦プー太郎レベルの時間が必要だと考えたワケです。ここでも大きく人生が分岐しますが、正解だったのかはもちろん今でも分かりません。ただその分岐からわずか数年後、僕は選ぶ側になっていました(笑)。コンペで曲を集める時に自分の曲を含めたら、他の人たちが「これ、いいんじゃない?」と僕の曲とは知らずに採用してくれることもちょくちょくありましたが。チャンスとあらば「これ!これイイ!あ、ちなみに俺の曲だけどさ、でもこの作品の主題歌として雰囲気合ってない?」みたいなチートをしていたかどうかは、当時の僕を知る誰かに聞いてみて下さい。ただし、掲載前には検閲だけさせて頂きたく…。

少々時系列がフワっとしていますが、コンシューマーゲームがカセットからCD-ROMにメディアが移り変わっていくと、生声や歌などもゲーム中で使われることが多くなりました。ゲーム機がPlayStation主流になった時に、現在まで深く関わることになる『Memories Off』という恋愛アドベンチャーゲームに関わる機会が訪れました。アドベンチャーゲームは僕の原点ですし、テキストアドベンチャーのエンジンで動いていることにも興味を持っていました。ちなみに『Memories Off』シリーズの2作目のタイミングからは、あの!紅白歌手でもある水樹奈々ちゃんとも、しばらくお仕事をさせてもらっていました。

声優さんが声優として、さらにキャラソンを歌うにとどまらず、アーティストしても注目され始めた頃でもありましたね。当時ブームにもなっていた美少女ゲーム、いわゆる「ギャルゲー」関係のお仕事も増えてきて、光栄ながら僕もたびたび楽曲の依頼をいただきました。そのゲームがアニメ化するケースも多くて、「アニメの音楽もお願いします」と。自分が作りたい楽曲じゃなく、誰かが喜んでくれるかもしれない楽曲。手品を披露する感覚を残したままのスタンスで、流れに身を任せるような形で仕事の幅が少しずつ広がっていきました。

ちなみに僕がヒューマンを退社するにあたり、その最後に担当した作品が『爆走デコトラ伝説』という「トラック運転手さん達の人生体験型レースゲーム」のような作品です(笑)。演歌のコード進行のパターンなど僕なりに勉強して5つのシリーズ作品で何十曲も演歌を書き下ろしました。北島音楽事務所の歌手の方では北島三郎さん以外の、紅白歌手の皆さんに曲を提供しました。ありがたいことに、その後ゲーム以外でも北島音楽事務所さんの方からオファーのお話を頂いた事もあります。

ゲーム音楽では、例えばパズルゲームで「この面はジャズ」、「ここはオーケストラ」、「ここはサンバ」など一つのゲームの中でも多様なオーダーが届くこともあるので、幅広いジャンルの音楽を作れることが絶対条件なんです。しかも限られた音数制限がある中で。ゲーム会社に在籍していた時に様々な音楽ジャンルを勉強して、曲を作れたことが大きな糧になったと思います。

 

 

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