
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第10話「イオマグヌッソ封鎖」用語解説(ヒゲマン、ビグザム、ギレン・ザビ、ヘリウム3、宇宙線)
父、デギンの葬儀
『ファーストガンダム』では、ギレンが使用したソーラ・レイ(コロニーレーザー)によって、ジオン・連邦の両軍に甚大な被害が発生する。このときは、和平交渉を目的とした両軍の接近中であり、その犠牲となったのが、ジオン公国の総帥であり、ギレンとキシリアの父でもあるデギン・ザビであった。
作中では、直後に最終決戦であるア・バオア・クー戦が始まるため、デギンの葬儀に関する描写は存在しない。
一方『ジークアクス』では、ジオンの勝利後にデギンの葬儀が執り行われており(作中では存在しない。会話の中から実施を確認)、セリフの行間からは父を失ったキシリアの怒りがいまだ収まっていないことがうかがえる。
「コロニー落としで人類の半分を殺した罪悪感」
キシリアがギレンに対して呟いたセリフの一部。
『ファーストガンダム』第1話冒頭のナレーションでは、「開戦から1ヶ月で、連邦軍とジオン公国は総人口の半分を死に至らしめた」と語られており、同時にコロニーが地球に落下するシーンが描かれている。これは、戦局を一気に変えるためにギレンが主導した作戦であるとされている。
キシリアのこの言葉からは、ギレンが戦後、道徳的信条や倫理観に反する行為(殺害・残虐行為など)を実行したことによって生じる深い精神的苦痛――いわゆる「モラル・インジャリー(道徳的損傷)」に苛まれていた可能性が示唆される。
実際、ギレンは信頼できる側近(贔屓の人材)の登用に傾き、批判的な存在であるキシリアとの関係を極力避けるようになっていたことからも、精神的な回復と自己正当化のバランスを取ろうとしていたのかもしれない。
ヒゲマン
マチュが使う、シャリア・ブルのあだ名。シャリア・ブルは、細かいことを気にせず、どこかおおらかで自由な雰囲気を持っており、マチュにとっては“大人”としての魅力を感じさせる存在である。
マチュの母親は、極めて管理的で厳格な性格だったため、軍人でありながらも柔軟な対応を見せるシャリア・ブルに対して、マチュはどこか「自由」のようなものを感じているのかもしれない。「ヒゲマン」という愛称からは、そんな親愛の情がにじみ出ている。
ゼクノヴァの向こう側
「向こう側」に気づくことができるのは、ニュータイプだけだとされているようだ。ただし、現時点ではニャアンにはそれが見えていないように思われる。
ゼクノヴァの“向こう側”が見えるということは、ララァがその存在を認めた者――すなわち、ララァ自身の意識がゼクノヴァの中で感じ取られる人物であり、真のニュータイプであることの証なのかもしれない。









































