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『鬼滅の刃』を現実の年表で考察してみた|鬼舞辻無惨が鬼になったのは『源氏物語』よりも前!?

『鬼滅の刃』物語スタートはいつ? 鬼舞辻無惨が鬼になったのは『源氏物語』よりも前!? 蝶屋敷の総滞在期間はどのくらい? 人気作品を現実の年表と合わせて考察してみた

家族を鬼に殺された主人公・竈門炭治郎が、鬼となり生き残った妹とともに、鬼たちの祖である鬼舞辻無惨を倒し、妹を人間に戻すため奮闘する『鬼滅の刃』。

物語は大正時代が舞台なのですが、ストーリー中では数百年前に遡ることもしばしば。筆者はかなり本作を読み込んでいるのですが、そうすると気になってくるのが、実際に何年頃の出来事なのかということ。

そこで『鬼滅の刃』を時間軸に注目して考察してみることに。物語のスタートした年代に加えて、鬼舞辻や上弦の鬼たちが鬼になったのはいつごろなのか、またその頃の日本ではどんなことが起きていたのかを調べてみました。

さらに、漫画やアニメでは実感しづらかった炭治郎が蝶屋敷で過ごした期間や柱稽古の期間などについても考察。最後には年表も掲載していますので、ぜひ時系列で『鬼滅の刃』の物語を楽しんでみてください。

※あくまでライターが個人で調べ、考察した内容となります。作品公式が発表している内容ではありません。また、ネタバレ要素が含まれますのでご注意ください。

目次

年表

時代・年号 出来事
平安 794-1180年頃 鬼舞辻無惨が鬼化
室町 1400年初頭 巌勝・縁壱誕生、珠世が鬼になる?
1400年中頃 縁壱鬼殺隊となる、巌勝が鬼になる
1500年頃 老いた縁壱と黒死牟が邂逅、縁壱が死亡
安土桃山時代/江戸時代 1600年頃 縁壱零式が作られる
1800年 猗窩座が鬼になる、上弦の誰かが倒される
江戸・慶応 1866-1867年 鬼殺隊現役時代の鱗滝が首鬼を捕らえる(鱗滝らが現役の頃)
明治 1911年末 【物語スタート】炭治郎一家が鬼に襲われる
1912年初頭 鱗滝の元に行く、禰豆子眠る、狭霧山での修業開始
大正 1913年冬 岩を斬る課題を与えられる
1913年夏 錆兎・真菰に出会う
1914年冬 炭治郎岩を斬る、最終選別へ
1914年冬 最終選別(7日間)、最終選別突破15日後に鋼鐡塚から日輪刀をもらう
沼鬼→鬼舞辻と遭遇→矢琶羽らと戦闘→鼓屋敷→藤の家紋の家で休息→那田蜘蛛山
蝶屋敷滞在2か月半程度(休息1ヶ月程度→機能回復訓練10日+15日+10日+9日)
無限列車任務→蝶屋敷で休息と鍛錬(4か月滞在)
1915年初夏 遊郭へ潜入→妓夫太郎・堕姫討伐
[鬼]113年ぶりの上弦会議
1915年秋 蝶屋敷で2か月昏睡→刀鍛冶の里へ→蝶屋敷で休息(7日間)
柱稽古1ヶ月(宇随10日→無一郎5日→甘露寺4-5日?→伊黒4-5日?→実弥1日→悲鳴嶼10日?)
鬼舞辻無惨討伐、鬼殺隊解散

物語開始は1911年末

 
炭治郎が町に炭を売りに行き、翌朝家に戻ると家族は惨殺され、妹は鬼に……。そうやって始まった本作。この出来事が起きたのは1911年末頃だと考えられます。

年代特定のヒントとなったのは、炭治郎が最終選別で討伐した首鬼の発言です。炭治郎の師匠である鱗滝に捕らえられた首鬼は自分が捕まった時期のことを「忘れもしない四十七年前 アイツがまだ鬼狩りをしていた頃だ 江戸時代…慶応の頃だった」と言っています。

慶応の和暦が使われていたのは1865年から1868年の4年間。さらに、慶応は江戸時代最後の元号であり、1868年の半ばから明治時代に入っているため、江戸時代かつ慶応の頃というのは1865年から1867年の3年間に絞られます。

このことから、炭治郎の参加した最終選別は1912~1914年のあたりだと推測することができました。さらに、炭治郎一家が鬼に襲われてから最終選別に参加するまでおよそ2年の月日が経っているため、鱗滝左近次に弟子入りしたのは1910~1912年頃でしょう。

大正時代が1912年7月からであることを鑑み、私は弟子入り時期を1912年だと仮定しました。

そして、物語開始直後の炭治郎が「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたい」との理由で炭を売りに行っていることから、年末だと推測。よって、物語の開始時期は1911年の末頃だと結論付けました。

物語開始時点の炭治郎は13歳なので、彼は明治時代の生まれということになりますね。

鬼舞辻無惨が鬼になったのは900年頃

 
平安時代に生まれ、鬼になったことが明らかとなっている鬼舞辻。物語の中で彼は、「この為に千年増やしたくもない同類を増やし続けたのだ」「この千年神も仏も見たことがない」など、自分が1000年間活動してきていることをたびたび口にしています。

炭治郎が鬼殺隊として活動している頃が1914年から1915年頃であるため、鬼舞辻が鬼になったのは900年頃だと考えられるでしょう。

国風文化が発展した平安時代を象徴する作品として紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』が挙げられますが、これらの文学作品が生まれたのが1000年頃とされているので、鬼舞辻はそれよりも前から生存していたことになります。

新しいものを学ぶことを好んでいるようなので、これらの文学作品も読んでいそうです。

ちなみに『平家物語』で有名な源平合戦は平安末期の出来事。この時すでに鬼だった鬼舞辻は、時代の動乱を陽の当たらない場所から眺めていたかもしれませんね。

蝶屋敷での総滞在期間は9~10か月ほど

 
任務で負傷するたびに蝶屋敷で治療を受けたり機能回復訓練を行ったりしていた炭治郎。その総滞在期間を計算してみたところ、なんと9~10ヶ月ほど思っていたよりもかなり長かったです。

初めて蝶屋敷に行った那田蜘蛛山での任務後、炭治郎は全身に切り傷や擦り傷がある他、体中筋肉痛で肉離れを起こしていました。肉離れは中等症であれば1ヶ月前後で治るそうなので、まず休息にひと月。さらに、機能回復訓練と全集中の呼吸・常中の会得に少なくとも44日を使っています。よって、この時は短くとも2ヶ月半程度滞在。

次に蝶屋敷にお世話になったのは無限列車での任務後。戦いの傷が癒えてからも、蝶屋敷で毎日の鍛錬を行い、蝶屋敷を拠点にして合間に入る鬼討伐任務に出かけています。このときは4ヶ月間滞在していました。

その後、遊郭で上弦の鬼の討伐に成功した炭治郎でしたが、重傷を負い、蝶屋敷で2ヶ月間昏睡状態に。目覚めた後は1週間で復活。さらにその後の刀鍛冶の里での戦闘後は、7日間意識を失っていました。

全ての期間を合わせると蝶屋敷で過ごした時間は9~10ヶ月となります。さらに、鬼舞辻との最終決戦の後には治療のため3ヶ月間滞在しており、それを合わせると1年以上蝶屋敷で過ごしていることに。

家族を失って苛烈な戦いに身を置く炭治郎でしたが、安心して過ごせる蝶屋敷は身体だけでなく心の傷も癒してくれる場所だったのではないでしょうか。

柱稽古の期間は1ヶ月ほど

 
最終決戦前に行われた柱稽古。一般隊士たちが柱の元を順に回り、一定期間稽古をつけてもらうという内容でしたが、炭治郎が柱稽古に使った時間はおよそ1ヶ月ほどだと思われます。

宇随の元で10日間、時透の元では5日間、伊黒の元では4~5日程、悲鳴嶼の元ではおそらく10日間ほど稽古。甘露寺邸の滞在期間ははっきりと示されていないものの、文通相手の伊黒が稽古の様子を聞いているようなので、少なくとも4-5日は滞在していると考えられます。不死川とは玄弥のことで大乱闘に発展してしまったためおそらく1日で稽古は中止に。

全ての日数を合計すると、34~36日となり、およそ1ヶ月柱稽古を行ったと考えられます。もちろん、各柱邸はある程度距離がありそうなので、移動に1日から数日かかることを想定すると1ヶ月半ほどを要している可能性もありますね。

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