
シャフトの50年の軌跡とアニメ界の進化の過程を見せつつ、“ずっと変わらない大切なもの”も伝えたい――「シャフト50周年展」開催記念 株式会社シャフト・久保田光俊社長インタビュー
数多くのアニメ作品を手掛けているアニメ制作会社のシャフトが、2025年9月1日に設立50周年を迎えました。それを記念し、東京・Mixalive TOKYOにて、2025年12月27日(土)~2026年1月18日(日)まで、「シャフト50周年展」が開催!
Mixalive TOKYOの5フロアに渡って展開、さらには前期と後期で展示内容が変わる、シャフトの50年の軌跡とアニメ界の進化が体感できる大規模な展示イベントとなっています。
そんな「シャフト50周年展」の開催を記念し、約45年間シャフトに在籍している久保田光俊社長にインタビューを実施! 50周年を迎えた感想や、特に印象深い作品、本展示の見どころのご紹介など、たっぷり語っていただきました。
シャフトの50年は、アニメ業界の進化の歴史。おもしろいアニメを作り、どう伝えていこうかという想いは今も昔も変わらない
──シャフトが今年、設立50周年を迎えた感想をお聞かせください。
株式会社シャフト・久保田光俊社長(以下、久保田):シャフトとして50年、僕が入社してから45年近くになりますが、自分も現場で仕事や制作をしてきたので、あっという間だったなというのが率直な感想です。僕が入社した頃は、グロス制作(アニメ1話分の演出、作画、動画、背景、仕上げ、撮影という全行程をすべて請け負うこと)や仕上げの下請けなどをしながら、自分のステータスが変わるごとに関わり方も変わっていきました。制作であったり、代表取締役になったりしながら作品を作り続けてきたので、体感的にはつい昨日のことくらいに感じています。
でも50年というのはすごく長い時間で、人が50年生きることは今では当たり前になったかもしれませんが、スタジオを50年続けてこられたことは大変ありがたいことだなと思っています。僕は実際に色指定や仕上の現場として作ってきたのが15年、制作として関わってきたのが30年以上になりますが、シャフトの作品を観て愛してくれた方が作品やスタッフを応援してくださったおかげで、50年に渡ってアニメを作り続けることができたと思うので、皆さんへの感謝の気持ちと、素晴らしい作品や素敵な人たちと関わることができてよかったなと、改めて実感しています。
──失礼ながら50年の歴史があることを知りませんでした。歴史を調べると私が学生時代に観ていた『劇場版うる星やつら オンリー・ユー』(1983年)や『アタッカーYOU!』(1984年)の制作に携わっていたことを知ってビックリしました。1975年といえば『宇宙戦艦ヤマト』の放送が始まり、それまでは「テレビマンガ」と呼ばれていたものがアニメーションとして認知され始めた頃で、シャフトはそんなアニメ業界を支えてきたんですね。
久保田:創業時の1975年は、僕自身もアニメを観ていて、「アニメってどう作るのかな?」と不思議に思いながら楽しんでいました。たまたま縁があって、このスタジオに入社することができて、アニメファンからアニメを作る側に変わりました。
シャフトが歩んできた50年は、アニメ業界自体も変わりながら、進化をしてきた歴史でもあって。今回の「シャフト50周年展」では、スタジオの歴史を振り返るだけではなく、作品を支えてくれた人たちの仕事を伝えたいですし、50年前のアニメと今のアニメの、技術も含め、いろいろな変化や成長してきたことを少しでも感じてもらえたらいいなと思っています。
僕が子どもの頃はアニメを観た翌日に、友達とそのアニメの話題で盛り上がっていました。でもアニメのジャンルも広がっていって、子どもだけでなく、大人も注目するようになり、それがきっかけで、更にアニメが増えて、多ジャンル化が進みました。核家族化が進み、TVが居間だけでなく、各部屋に置かれるようになってから、家族と同じ番組を観る時代から家族各自がそれぞれの部屋で番組を観るようになったりという社会的な構造の変化も大きいと思いますが、作り手側としてはおもしろいアニメを作って、それをどう伝えていこうかという想いで作っているのは今も昔も変わらないのかなと。絵が動いて、お話があって……シンプルなおもしろさを今後も伝えていけたらいいなと思っています。
印象深い作品は初のオリジナルアニメ『爆烈エトレンジャー』。ターニングポイントになったのは『月詠 -MOON PHASE-』
──シャフトに携わってきた時間の中で、印象に残っている作品やターニングポイントになった作品を教えてください。
久保田:入社した当初、僕はアニメーターが描いた線画に色を付けていく仕上げという部署でやらせてもらい、いろいろな作品に関わることができたので思い出深い作品はたくさんあります。その中でも、初めてオリジナルのTVアニメーションを制作した『十二戦支 爆烈エトレンジャー』(1995年4月~1996年1月)は、僕が制作を始めて、現場をある程度コントロールしながら中心になって作ったアニメなので、僕にとってターニングポイントになった作品です。また今、アニメ業界で活躍されている人たちとの出会いもあって、それが今も繋がっていることもあって、とても大切な作品です。
──私たちシャフトファンにとっては、新房昭之監督の作品はどれも印象深いです。
久保田:それでいうと『月詠 -MOON PHASE-』(2004年10月~2005年3月)は新房監督と最初にTVシリーズを制作した作品で、シャフトにとってもターニングポイントになったことは間違いありません。
──シャフトの認知度が高まったなという手応えを感じた作品を教えてください。
久保田:『月詠』の時に良かったなと思ったのは、尾石達也さん、鈴木利正さん、武内宣之さんなど『爆烈エトレンジャー』に初めてスタッフとして参加してくれた人たちが、ターニングポイントになった新房監督作品で、今度はメインスタッフとして作品の中心になって作ってもらえたことが感慨深かったですし、作品は違えどもシャフトとして前進した作品になりました。
そこから『ぱにぽにだっしゅ!』(2005年7月~12月)でも続けてご一緒できましたが、新しいスタッフ陣が加わりながら作って、その後の『さよなら絶望先生』(2007年7月~9月)や『ひだまりスケッチ』、『化物語』に繋がっていきました。シャフトの世界観を広げることができた作品は『ぱにぽにだっしゅ!』だと思います。










































