
今じゃないとできない、今描かなくてはいけないことを入れ込んだ作品ーー『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』矢嶋哲生監督インタビュー
『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』が2月27日(金)より大ヒット上映中!
夏休みにキャンプの行き先で意見が分かれたのび太たちは、ドラえもんの提案で海底キャンプに出発。冒険を楽しむ中で海底人のエルと出会い、隠された秘密を知ることになります。海底人が恐れる“鬼岩城”とは一体何なのか? のび太たちの冒険の先に待つものとは?
本作の監督を務めるのは、TVアニメはもちろん、数々の「映画ドラえもん」に携わり、その魅力を最大限に引き出してきた矢嶋哲生さん。映画の公開を記念して、作品に込めた思いや制作秘話を語っていただきました。
※一部ネタバレも含みますので、まだ映画をご覧になっていない方はご注意ください。
解像度を上げて、視聴者その空間にいるような情景を目指す
──今作はどのような経緯で、制作されたのでしょうか?
矢嶋哲生監督(以下、矢嶋):監督を打診された際、既に『映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城』の再映画化をやりたいというお話があったんです。『映画ドラえもん のび太のパラレル西遊記』以降は全部観ていたんですけど、『映画ドラえもん のび太の海底鬼岩城』は監督が決まってから観ました。
──ご覧になった印象はいかがでしたか。
矢嶋:まず原作を読みましたが、「尺が大変だな」と。というのも、前作は原作を比較的そのままアニメ化していた印象なんですけど、それでも上映時間が90分あったんですね。「あれも入れたい、これも入れたいとなると、100分を簡単に越えるな」という印象でした。原作ファンも、前作ファンもいる中で、核となる部分は残しつつ、新しく入れたい部分を持ち上げつつ、どう表現しようかというところもありました。その段階から仕事脳でしたね。
──今回また『ドラえもん』という作品に取り組むことになった時のお気持ちもお聞かせください。
矢嶋:ドラえもんって何だろう?と考えた時に、僕自身も物心ついた時から観ていましたし、日本国民の心の中にずっとあるコンテンツなんですよね。同時にそれぞれの人に『ドラえもん』への思い入れがあって、それを壊さないようにするのは僕に課せられた1つの役目と言いますか。皆が『ドラえもん』と一緒に育ってきて感じたことや、イメージや核となる部分を大事にして臨まないといけないと思いました。
──今作はのび太の家にある玄関の朝顔や風鈴など、日常生活の細かい描写が印象に残りました。
矢嶋:僕の好きな演出・描き方の中に、「解像度を上げたい」というものがあります。生活感をなるべく描いて、視聴者が一緒にその空間にいるような情景を目指す。それが僕の1つのスタイルになっている気がします。僕は今ちょうど小学生の子どもがいるので、そこからインスピレーションを得て、「夏休みの一般家庭には何があるだろう」というところから着想していき、美術設定なども作っていきました。
玄関の朝顔もそうですし、電話横に置いてあるお中元もそうですし、「のび太だったら、学期末に持って帰って来たピアニカも、その辺に置いておくだろう」と思って、部屋の脇に置いておきました。加えて、「のび太の家には、たぶんエアコンはないだろう。扇風機しかないから、暑いよね」というところから、窓は全部開けて網戸にするという発想で、解像度をどんどん積み重ねて上げていくというスタイルを取っています。
──作中でも、のび太が学期末に、袋に入れて持って帰って来た持ち物がそのまま部屋に置いてありました。
矢嶋:新学期が始まったら、あれを持っていくんですよ。だからそのまま置いてある。子どもはのび太に親近感が湧きますし、親としては「のび太って、こういう子だよね」という気持ちになると思います。
──作品のテーマや決め事、こういうことを描きたいと思ったことはありますか。
矢嶋:まずテーマを探ろうと思って、原作を読みました。今作に登場するドラえもんのひみつ道具の1つ「水中バギー」には、コンピューターが内蔵されているんですけど、それをAIとした際、絶対にしない答えを導くところがあるんです。AIというのは、理にかなっていることを並べてきて、最善策を並べてくると思うんですけど、今作では明らかに「何でそれを選択したの?」という選択をするんですよね。
「これが先生の言いたいこと、テーマなのかもしれない」と思って、そう感じた時に僕の中でこの作品がひらけたんです。そして「それはAIにおける何なのか?」を考えた時に、恐らくバグなんじゃないかなと。このバグに相当するものが人間でいうと、きっと心の部分なのかもしれない。「正しいと正解」という言葉を作中に出しましたけど、正解じゃない正しさみたいなものは、きっとバグで。「人間は心で決めたら、このバグの方に従ってしまうことがたくさんあるだろうな」というテーマを据えて作っていった感じです。
EDに忍ばせた監督の思い
──今作では、のび太たちと水中バギーの心の交流が丁寧に描かれています。のび太が水中バギーと一緒に寝るシーンは、かわいらしくて、親近感がわきました。
矢嶋:今回の作品では、水中バギーを6人目の仲間として描きたかったんです。年齢ものび太たちと同じくらいのニュアンスで、一緒に修学旅行へ行った友だちのように考えていました。今回はジャンケンで負けたことにしましたけど、のび太と一緒に寝て、そこで会話があるのも修学旅行っぽいなと。
のび太たちと触れ合うことによって、水中バギーに心が生まれたということにしたかったので、原作や前作では、四次元ポケットにしまう機会が多かったですけど、今回はなるべくのび太たちと一緒に時間を過ごして、その中で心が芽生えていくように変化させたいと思いました。
──作品に登場する「正しいと正解は違う」というセリフは、子どもだけでなく、大人にも響くような言葉だと感じます。
矢嶋:「正しいと正解は違う」というのは、まさにその通りで、みんな葛藤して生きている。正しい選択をしたいけど、正解を選ばなくていけない時もいっぱいあります。そこは子どもにも、大人にも通じる普遍的なテーマになっているので、子どもにも大人にも刺さるのではないでしょうか。
更に言えば、物語にはずっと“互い違い”があるんですね。「海と山」「海底人と陸上人」「ムー連邦とアトランティス」。ずっと互い違いのテーマが登場するんですけど、それに対して、のび太たちはどういう答えを出したのか。「互い違いはあるけれども、いつか手を取り合える日が来たらいいね」と。原作はそういう終わり方でしたが、僕もそう思っています。
「手を取り合えるその日まで、その未来が来るためには何をするんだ?」というところにフォーカスして、EDを作った感じです。のび太たちが一歩踏み出したので、「今の時代に、どうあなたたちが一歩踏み出せばいいんだろう?」という部分も少しEDに忍ばせています。
海底人もそうだと思うんですけど、みんながみんなすぐには変えられないし、行動は起こせない。たぶんエルたちも何かしら行動、一歩踏み出したと思いますけど、そうではない人間たちもいる。そこから歩み寄りが始まるんですけど、エルたち海底人も、そのために一歩踏み出し、のび太たちも一歩踏み出す。相互の踏み出しが何か解決や平和に導いていくんだろうなという印象を持っています。
──今作で監督がこだわったところをお聞かせください。
矢嶋:水中バギーが飛び出すシーンは、めちゃめちゃこだわりました。あのシーンは、カットバックで割っちゃったんですけど、1カット30秒ぐらい、まるまる長回しのシーンを作ってもらったんです。直接的なセリフを入れたくなかったので、その前のシーンで「正しいと正解が違うのは、それはまるでバグみたい」というセリフを入れて。そして水中バギーが飛び出した時に、そのセリフをフラッシュバックさせる。そうすることによって、水中バギーが心によって飛び出しているんだと見せられる構成にしました。
あとは深海の描写が難しかったです。この作品に関わるまで、深海にそこまで詳しくなかったので、手探りでした。ましてや海底1万メートルは、宇宙に行った人よりも少ないらしくて、何よりも情報が少ないんですよ。その中で、今回は文部科学省所管のJAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)さんや、小学館の図鑑のチームにヒアリングさせてもらって。例えば、「のび太がマイナス2000メートルにいるから、この魚とこの魚は出てくるだろう」「本当なら、海底人は深い圧力に耐えられるように、体がブヨブヨになっているだろう」とか。深海の解像度が上がるように、図鑑と照らし合わせながら、コンテを描きました。
JAMSTECさんにはムービーのデータベースがあるので、魚の動きはそこから拾っています。データがない魚もいるんですけど、『ドラえもん』という作品自体が教育的な部分も兼ねていると思っていたので、なるべく嘘がないように調べました。
あとは、ドラえもんはテキオー灯で目の前が開けるんですけど、探索艇だと、どんなに強いスポットライトでも範囲が見えないんです。そうすると、目の前がどんなふうになっているかは一切わからない。ただ、今はレーダーで地表がだいたいわかるそうなんです。そのデータや何もない山間のイメージを掴むために、ヒマラヤ山脈や月面を参考にしました。そういうところから、想像でまかなっていった部分もあります。
──本作では、そういった現実的なシーンとカキ畑やクラゲの部屋などの幻想的なシーンが混在していますね。
矢嶋:その通りです。のび太の家の玄関の朝顔や学校から持ち帰ってきた荷物もそうですけど、逆に「ムー連邦の人たちがどういう生活をして、何を食べて、何をもとにして生きているのか」というところをコンセプトアートの方や美術設定の方と話し合って作りました。
おばあちゃんがとり貝を使って荷車を押していますけど、あれは「ダーリアイソギンチャク」というものなんです。小学館の図鑑のスタッフと話した時に、「ダーリアイソギンチャクはプチプチ取りやすくて、パクパク食べれそうだよね」と話していて、そういう何気ない会話から着想していきました。原作は干し草みたいなものを引っ張っていたんですけど、それよりは「実際にあるものを養殖して、収穫して、食べているんじゃないか」と。
他にも、カキ畑や街の外に「カイロウドウケツ(偕老同穴)」も出てきます。調べてもらうと面白いんですけど、ガラス繊維でできていて、中でエビを飼っているんです。このエビは共生関係にいて、カイロウドウケツ(偕老同穴)から、一生出られない。その中で、「ムー連邦の人たちはエビを養殖して食べているんじゃないか」「たんぱく質はここから摂取しているんじゃないか」とか、食生活もイメージしていきました。






































