音楽
『亜空大作戦スラングル』歌手の片桐圭一さんご逝去

『亜空大作戦スラングル』OPテーマ歌手の片桐圭一さんが昨年末にご逝去|生前インタビューを公開

『亜空大作戦スラングル』OP主題歌「亜空大作戦のテーマ」などを歌われた歌手の片桐圭一さんが、2025年12月30日に永眠されました。享年68歳。

「ゴリラ」を連呼するインパクト抜群の歌詞がネットで再注目され、リアルタイム視聴世代以外にも広く知られるようになった『亜空大作戦スラングル』OP主題歌「亜空大作戦のテーマ」。それを歌われた片桐圭一さんは、「はせもとひろ」名義で『スラングル』の後期OP主題歌「FIGHTING ON」も引き続き担当し、『プラレス3四郎』OP主題歌「夢操作P.M.P.1」およびED主題歌「クラフト・ラブ」でも圧倒的な歌唱力を披露されています。

なお片桐さんの歌声を聴けるTVアニメは1983年放送のこの2作品のみで、昭和アニメの歌手が多数参加するアニソンフェスなどへの出演もありません。片桐さんに関する記事も少なく、アニメ媒体で片桐さんのことを詳しく紹介するのも今回が初めてとなります。

メディアに登場しなかった理由はいくつか考えられますが、大病をされ、車椅子生活となっていたこともあると思います。しかし往年の個人ライブではパワフルな歌声とアレンジを利かせたギター演奏で「亜空大作戦のテーマ」などを熱唱し、ファンを魅了していました。

今回は筆者が2023年に片桐さんにインタビュー取材した音源を元に、追悼を兼ねて紹介記事を書きました。『スラングル』『プラレス3四郎』主題歌収録時の秘話や、それ以外にも歌っていた幻のアニソン、さらには車椅子生活者からのバリアフリーに対する切実な声までをまとめています。

片桐圭一という素晴らしい歌手がいたことを後世に伝えるために。そしてファン上がりのライターと長年交流してくださった片桐さんへ心からの感謝を込めて、“生の言葉”をお届けします。


2010年3月13日、東京・秋葉原のライブハウスで歌われた直後の片桐圭一さん(右)。お隣の女性は片桐さんが愛する奥様。左は筆者
 
片桐圭一(かたぎり けいいち)
1957年4月3日生まれ。2025年12月30日没。
幼い頃から本格的に柔道に取り組んでおり、小学生、中学生の時に全日本で一位となる。段位は三段。しかし足の怪我によって柔道を断念することになり、療養中に以前から嗜んでいたギターを手に、作詞作曲を始める。以後、弾き語りのアルバイトをしながらコンテストに出場して賞を貰うようになり、1981年3月の「GORO激写サウンドコンテスト」でグランプリ受賞。同年ビクターから4人組サーフ・ロックバンド「ブルート・イースト・ファミリー」のボーカルとしてデビューする。
1981年8月、映画『ブルース・リー 死亡の塔』の日本版主題歌「アローン・イン・ザ・ナイト」を歌唱。
1981年9月、LP「ブルート・イースト・ファミリー」発表。
バンド解散後、1983年1月放送開始のTVアニメ『亜空大作戦スラングル』および同年6月放送開始のTVアニメ『プラレス3四郎』の主題歌を担当する。
あだ名はブルート。シンガーソングプロレスラーとも呼ばれ、プロレス知識は解説者並みであった。

生前のインタビューより

――まずは片桐さんの現状(2023年当時)についてお聞かせください。

片桐圭一さん(以下、片桐):結構な大病をしまして。それが長引いて今の状態になっていますね。身体は健康だと言っても、一回大きな病気をしてしまうとなかなか戻らないもので。今は病気と闘いながら生きているという感じですね。

――今は車椅子に乗って生活をされています。今回の取材場所を決める際も、車椅子を受け入れるスペースが都内には非常に少ないことに改めて気づかされました。

片桐:東京に限らず、どこへ行ってもないんですよね。たとえば自分で調べてから食べ物屋さんとかに行っても、バリアフリーと障害者は別物らしいですね。

バリアフリーというのは単に床がフラットなだけで、障害者にとっては車椅子での席の入り方とか動線とか、細かいところが不便に感じます。何よりもトイレですね。トイレが一番大変です。

僕以外の車椅子の方も、みんな映画なりライブなり色々なところに行ってみたいと思っているのですが、やっぱりそこがネックでダメみたいですね。

障害者対応が当たり前になるのが一番ありがたいんですけど、国もそこまでは手が回らないみたいですね。

――改めて周囲を見回すと、なんて段が多いのだろうと痛感しました。普段何気なく跨いでいた段差が、車輪で乗り越えようとするとすべて障害物になる。

片桐:車椅子は5センチが上がれませんからね。5センチ以上になると、介助の人の手を借りて、持ち上げてもらうことになるんです。

あと、目の見えない方のための黄色いブロックがあるじゃないですか。あれが車椅子にとっては問題になるんです。あの凹凸の間にタイヤが嵌ってしまうと、右にも左にも曲がれなくなってしまうんです。

本当はそういうところも国に対応してもらわないと困るんですけどね。今まで行った場所だと大崎(東京都品川区)とか、ああいう新しく整備された街は車椅子でも便利でしたね。考えて作られているなと思います。

アニメソングを歌うことになるまで

――改めて、片桐さんの歌のお仕事について伺います。まずはミュージシャンになられた経緯から教えてください。

片桐:18、19歳くらいまでは柔道ばかりやっていたんです。大会で優勝もしていたので、周りからも目をかけられていて、自分もその道で行くのかなと思っていたのですが、左脚を怪我してしまったんですね。

本当に酷い怪我で、その時代はまだ医療も発達していなかったから全然動けなくなってしまって。それの治療をしている間にギターを弾き始めたんです。実はギターも小学校2、3年頃から弾いていたんですね。

それで結局もう脚が治らないとわかった時に、じゃあ音楽でもやってみようかと。ひとつのことしかできない性質ですから、音楽で食っていくと決めたんです。親からも周りからも、音楽は遊びでやるもんじゃない、食えないぞと言われたんですけど、じゃあ食える音楽は何かと探したわけです。

その当時、夜のお店には弾き語りという人がたくさんいたんです。弾き語りと聞くと、ギターを弾きながら歌えばいいという感じですけど、その頃はハードでしたね。夕方6時くらいから朝の4時頃まで、30分おきに弾くんですよ。大変な仕事でしたけど、それが練習になったんです。

音楽の勉強なんかしてこなかったけれども、そこで憶えたものが身になりましたね。またその中で、デビューするにはテープを作ってレコード会社に送らなくちゃダメだよと言われたので、目黒のスタジオでテープを作り、それをいろんなところに持っていったんです。

最初は「後で聴くから」とあしらわれました。その頃はどこの会社もそういうテープが机に山積みなんですね。それでなかなか相手にしてもらえない。どうしようかと思っていた時に、僕が弾き語りをやっていたお店に日本学生サーフィン連盟の方たちが来たんです。そこで「歌を作ってくれないか」と頼まれまして。

簡単に「いいよ」と引き受けて作ったら、なんとソニー(CBS・ソニー)で録音するということで。そこで初めて「LONELY SURFER(ロンリー サーファー)」という歌を作ったんですね。これはドーナツ盤(EPレコード)にはなっているんだけど、市販はされなかったやつなんです。

ただその時に、演奏とアレンジを引き受けてくれたのが松原正樹さんだったんです。松田聖子とか松山千春とか、当時の売れている歌手の後ろで必ず弾いている方で、その人と一緒に作ったんですよ。

それで、さぁこれでデビューできるかなと思ったら、ソニーからは「まだだ」と。厳しいことも言われて、それなら自分で大会に出てみようと思ったのが「GORO激写サウンドコンテスト」で、友達を集めて出場したら、なんと1位になっちゃったんです。

そうしたらいきなりソニーが来て、「さぁやろうか!」って手のひらを返したので、「話がおかしいじゃねぇか!」と。それで違うレコード会社に行こうと思ったんです。そこにちょうどビクターの方が来られて、話がポンポン進んだんですけど、個人ではなく「ブルート・イースト・ファミリー」というバンドでやってほしいと。それで新しいメンバーを揃えて、録音が始まったんです。

そうして始まって、いろんな曲を歌ったんですけど、その当時はバンドというものがけっこう厳しくて。レコード会社にお金があった時代なので、どんどんレコードを作ってはくれたんですけど、売れないんですよね。

結局バンドは解散して、これから何をやろうかなと思っていたら、アニメのプロデューサーが来て「歌ってみるか?」と言われ、最初に歌ったのが「亜空大作戦のテーマ」なんです。

あまりにも斬新だった「亜空大作戦のテーマ」


片桐圭一さんのサインが入った『亜空大作戦スラングル』後期OP主題歌「FIGHTING ON」のEPレコードジャケット(筆者個人所有物。画像掲載にあたっては国際映画社の壺田重夫様より特別に許可をいただいております。転載不可)
(C)国際映画社・テレビ朝日
 

――「亜空大作戦のテーマ」は当時、ちょっと聴いたことがないような曲だったんですけど、最初の印象はどのようなものでしたか?

片桐:「ゴリラ」ですよね(笑)。とにかく歌詞を貰ったのが歌入れ当日ですから。

――えっ!?

片桐:あの当時はみんなそうなんですよ。生で一発で歌えるだろうと。譜面もなくて、ピアノがある部屋に籠って合わせるんですけど、なんで「ゴリラゴリラ」と連呼するのかなという疑問はすごくありましたね。

歌詞には宇宙戦隊モノらしい内容が書かれていたんですけど、どう歌えばいいかはわからなかったですね。アニメといえば僕の頭の中には『アルプスの少女ハイジ』とか『サザエさん』とか、その辺の知識しかないので。あとは『スーパージェッター』くらいですね。だから、ああいう歌い方をしなくちゃいけないのかなと勘違いしましたね。

最初はすごく大変でした。一番難しかったのは、「ゴリラ」のところの三拍子なんですよ。あの流れでタントントン、タントントンと来て、一拍目に「ゴリラ」と入れてくれと。しかもあの部分は「ゴリラ」の後ろにリードギターがトゥ~ンって入るんですよ。「ゴリラトゥ~ン、ゴリラトゥ~ン、ゴリラトゥ~ン」って。そうなると、二拍子になってしまうんです。それを三拍子っぽく歌うにはどうしたら良いか。そこの難しさはありましたね。

軽く歌うと間が抜けるし、どうにも合わないので「好きなように歌わせてもらえますか?」と言って歌ったのが、あれなんですよ。歌を流れで追うと、あの「ゴリラ!」の歌い方しかないんですよね。宇宙戦隊モノなのでグッと力を入れてリズムに乗せて、あの形ができたんです。でもそれが決まった途端に一発OKが出たので、これでいいんだなとホッとしましたね。

――放送当時もインパクトがあり過ぎて、『スラングル』という番組名よりも「ゴリラ」で記憶に残りました。初回放送の翌日、学校でも「昨日のゴリラ観た!?」みたいな感じで話題になりました。昨今はネットを通じて昔のアニメソングが再注目されることも多いのですが、これも「ゴリラ」の曲としてかなり有名ですよ。

片桐:あははっ、なるほどね。歌っているほうも、そこしか憶えてないですよ(笑)。

――1983年というのはアニメソングが革新した年なんですね。それまでアニメを歌ったことのない歌手がどんどん入ってきて、歌詞は主役メカの必殺技を叫ぶような内容からガラリと変わり、曲調も本格的なロックになって、それまでの子供向けのアニメソングをたちまち古いものにしていったんです。

その中でも「亜空大作戦のテーマ」は斬新で、番組が1983年の1月に始まったこともあって、新たな時代の幕開けを告げる曲としてアニメファンの間で話題になったのですが、反響は届かなかったのでしょうか?

片桐:全然届かないですよ。その当時はカセットテープですけど、ミックスダウンもしていない状態で「これね」って渡されて。うちで聴いても何がなんだかわからない。ただ、アニメのプロデューサーはニコニコ笑ってOKを出していたので、まぁいいのかなと。

――当時、視聴者の反応がわかるものといえばファンレターか、アニメ雑誌の読者投稿欄くらいで、仕事した時期と感想が載るタイミングとでは半年くらいのラグがあったみたいですからね。だから反響がわからないというのも仕方ないのかもしれませんが、「亜空大作戦のテーマ」はアニメファンの間では本当に話題になりました。

片桐:実際、番組を観たことはないんですよ(笑)。ただ、仕事でアニメを歌ってみてと振ってもらえたのは嬉しかったですね。他に何もない時期でしたから。その時は「うまく行ったらまた頼むね」という感じで終わっていましたね。

――実際この曲は人気になって、後期OP主題歌「FIGHTING ON」の依頼が来るわけですが、なぜこの時に名前が「はせもとひろ」に変わったのでしょうか?

片桐:日本音楽著作権協会、JASRACってあるじゃないですか。あの当時は分厚い本が送られてきて、名前が書いてあるんですよ。変な話、住所まで書いてあったんですけど(笑)。そこに、荒井由実と並んで呉田軽穂(くれだかるほ)って書いてあったんですね。なんだこれ? と思ってディレクターに聞いたら、芸名は3つくらいまで作っていいんだと。

そこで、遊びでうちの弟と弟の友達の名前をくっつけて「はせもとひろ」。

――そんな裏話が(笑)。

片桐:そうなんです(笑)。歌入れが終わってから「お前らの名前使ったぞ」って言って、「ウソだぁ~」って言ってたけど、後に本当だったとわかって笑ってましたね。

――その名前を作った時は、後々また使うかもしれないという心づもりもあったのでしょうか。

片桐:先ほども言ったように、歌入れの日に歌詞や譜面を渡されるとか、すべてが忙しく回転していたので、後々のことよりもその場でOKが出れば良かったんですよ。

――つまり「FIGHTING ON」も収録当日に歌詞を渡されたわけですか?

片桐:そうです。

――うわ~っ(笑)。いかに当時のミュージシャンの対応力が凄かったかが、よくわかりますね。

片桐:その時はスペクトラムのリーダーの新田一郎さんがいたんですよ。新田さんが曲を作って、アレンジもしたんです。そこで新田さんが「こういう歌い方だからね」って作ってきたものを聴いて憶えたんですけど、実はここでもひと悶着あって。一番の最後とか二番の最後が「スラァングル~」っていう歌い方だったんですよ。

――レコードの「FIGHTING ON」だと、曲の最後の「スラングル」の歌い方ですね。

片桐:そうです。それを2、3回歌ったら、ディレクターが「ちょっと待って。なんか伸びて締まらないよね。なんかやり方ないかね」って。新田さんは「これしかないと思うよ。これが一番いいと思う」って譲らないので、僕に振られたんですよ。「片桐くん、どうかね」って。

どうしようかなと思って、「長いなら、短くしたらどうですか」って言ったら、「じゃあやってみて」って言うので「スラングル!」って入れたら、「OK! それで行こう!」と。あれは自分の対応力が効いたなと思って、嬉しかったですね。

ただこれも難しい曲で。新田さんって声が高いんですよ。サビのところですよね。

――「スペースハーイナハァ~~~イ!」のところですね。

片桐:そう。あそこが「出ないだろ? キーを落とすか?」って言われたんだけど、「いや出る」って言って歌ったら、「いいじゃない。やるじゃない」って褒められて、すごく嬉しかったですね。

――あと、実は「はるかな友よ」(『亜空大作戦スラングル』後期ED主題歌)も片桐さんが歌われていると思い込んでいたんですけど、今回初めて勘違いしていたことに気づきました。

片桐:実はそちらもちゃんと録って形になっていたんですよ。ところがレコード会社と僕がいた事務所でトラブったんです。レコード会社側は僕がバンドでデビューした経緯もあって、ビクター(音楽産業)所属だと思っていたんですね。

でもその頃ちょうど僕は新しく事務所に入っていて、レコード会社側はビクター所属だと思って僕に仕事をくれたんだけど、新しい事務所のほうが「なんでうちに電話の1本もくれないんだ」と怒って、別の人で録り直しになったんです。

――調べてみたら、「はるかな友よ」を歌った飯野茂一さんという方はPLANET CYCLE!というバンドのボーカルをされていて、1983年5月に開催されたヤマハのコンテストで入賞されたようなんですね。だから入賞してすぐに依頼が来たのかなと。

片桐:急にトラブルになって、すぐに録り直さなきゃいけないってことで、レコード会社も困ったみたいですよ。それでその方に頼んだんじゃないかなと思います。いろんなことがあるでしょ?(笑)

――驚きの連続です(笑)。ちなみに「FIGHTING ON」も、テレビで流れるオープニングとレコードでは構成が違うんです。サビ前の「あ~く~に~い~ど~んだ~」のところがテレビのオープニングにはないんですよ。だからレコードを買って聴いたら突然知らないフレーズが出てきて、初めての経験だったから非常に驚いたんです。

片桐:ああ、なるほどね。

――それも含めて、当時いかに『スラングル』の音楽が斬新だったか。初めてのことを次々とやった感じだったんですよ。

片桐:あの当時は、何分何秒の曲にするためにここを抜いて、ここに貼り合わせてとか、そういうことをたくさんやっていましたね。だから僕も仕上がりがどうなったのか知らないんですよ。僕が歌った形しか知らないから。

でもそういうのって、今だから言えるけど他にもありましたよ。『巨神ゴーグ』っていうのも僕、歌ったんですよ。

――えっ!?

片桐:歌って形になっているんだけど、それもどこかでトラブルになって、僕のは出なかったんです。

――ええ~っ!? 「シークレーッ! だぁ~れかが」って曲ですよね。

片桐:そうそう。「ゴォ~~~グ」っていう。それも歌ったんですけど、大人の事情で出なくなったんですね。

――他にも、実はこれを歌っていたとかあるんですか?

片桐:メインではそんなにないんですけれども、コーラスをつけてくれというのは何曲かありましたね。譜面だけあって、「3小節前から出しま~す」って言われて録音していくんです。

「これ、何の曲なんですか?」って聞いても「何々だよ」って言われておしまいになっちゃうし、クレジットにも載らないんですよ。

――我々が把握していたよりもずっと多く、アニメソングに携わられていたんですね。驚きました。

『プラレス3四郎』はなぜ「ひかるファイバー」?

――同じ1983年に『プラレス3四郎』のオープニングとエンディングも歌われています。これはどんな経緯で依頼が来たのでしょうか。

片桐:それも、僕を見てくれていたレコード会社のプロデューサーの方から「これ歌ってみない?」って言われて。これは収録の1日前に譜面が来たんですよ。

――少し改善しましたね(笑)。

片桐:(笑)。ただ、それを見ても音だけなので、ノリがわからないんですよ。次の日にバックの音録りをするから仮歌で来てと言われて、行ってみんなに挨拶をして、やりましょうとなったけれどもどういうリズムかわからない。わからないまま歌っていたら、バンドの人から「もっとちゃんと歌って!」とブーイングが来たんです。

「ごめんなさい。まだわからないんです」って言ったら「初めて聴いたの? じゃあ明日はちゃんと歌って」って言われたんですよ。

でもね、こんなリズムの曲は、あの当時はなかったんですよ。それまでの8ビートとは違う、こういうリズムの奔りの曲で、メンバーの人たちもリズムが面白いのでそういうのを弾くのが好きなんですよ。

どうしようかと思って、うちに帰ってからレコードを全部出して、黒人のラップの曲を聴いたんです。それを一緒に歌ってみて、こうかなと悩んで、出た答えは「ブレスだな」と。それでブレスをきっちりやって歌ってみたら「なんだ、ちゃんと歌えるじゃないか」と言われて、編曲の槌田靖識(つちだ やすのり)さんともお友達になって、槌田さんのプライベートな曲を録音したりもしましたね。

それでA面はOKになったんだけど、B面はどうするかという話になりまして。B面の「クラフト・ラブ」はバラードなんですよ。そこで「生ギターを入れさせてください」と言って、僕がイントロを弾いたんですけど、好きなように弾いたので長くなっちゃって、「もうちょっと短く」と言われた想い出がありますね。

またその時に、オベーションというヘリコプターの会社が作ったグラスファイバーボティのギターを使ったんですけど、「ヘリコプターの音がする」と言われてNGになったんです。あの時の緊張とか、ブースの臭い、ヘッドフォンの感覚、山ほど想い出があります。最終的にはそのギターを生で収録した音が採用されることになって、ホッとしましたね。

今だから言いますけど、たしかオープニングの作詞は牛次郎さんですよね。

――そうです。『プラレス3四郎』の原作者ですね。

片桐:実は問題になったことがあって。歌詞に「光ファイバー」ってあるじゃないですか。あれが「ひかファイバー」なのか「ひかファイバー」なのかで揉めたんでよ。

僕が歌った時には牛次郎さんは来ていなくて、注意書きもなかったので「ひかファイバー」って歌ったんです。そうしたら、後から牛次郎さんに「ひかファイバー」だと怒られまして。

そこだけ入れ直しましょうという話になったんだけど、牛次郎さんが「もうそのままでいいよ」と折れてくださって、あの形になったんですね。

――まだ「光ファイバー」が一般的になる前ですから、当時は聴いている側も疑問に思わず「ひかるファイバー」というものがあるんだと思っていました。

片桐:あの時のミキサーさんも光ファイバーを知らなくて、「ひかるファイバーでいいんじゃない?」ってことで歌ったら、後からふたりで怒られたという(笑)。

――「プラレス」という造語をタイトルにするような方ですから、歌詞にも新技術の名称を取り入れたりと、言葉へのこだわりが強かったんでしょうね。ただ、読み仮名を振らなかったことが計算違いを生んでしまった(笑)。

片桐:普通の作曲家や作詞家の方も、もちろんこだわりはあるけれども、曲に合った詞とか詞に合った曲というのがメインで、歌っている間に「ここの詞をこう変えよう」って練りながら作っていくものなんですね。そこがアニメの方は最初からガツンと、詞にこだわって作っていくんだなというのは感じましたね。

――アニメはオープニングで作品の魅力を紹介するものでしたからね。歌詞で必殺技を叫ぶとかは最たる例ですし。

片桐:当時の歌入れはどんどん回転していく世界だったんです。何度も歌って歌い慣れちゃうと、歌い癖が出てきて歌として面白くない。一発で録れば面白い。だから基本的に本番は一発録りなんですよ。

「こういう歌い方でいいですか?」というのは何度も聞きましたね。他にも色々な作品があるから、カラーが同じにならないようにというので、好きなように歌わせてもらったんですけど、観ていたみなさんからも評価されていたというのは嬉しいですね。

――1983年というのは、『装甲騎兵ボトムズ』というアニメの主題歌を織田哲郎さんがTETSUという名前で歌っていたり、『機甲創世記モスピーダ』を歌ったアンディさんはグループサウンズ出身の方だったりと、アニメでは聴いたことのない方たちが続々と入ってきて、新しいアニメソングの形を魅せて去っていくというのが多かったんです。

片桐:その辺からアーティストがアニメを歌うことが多くなりましたよね。

――そんな中ですら『スラングル』は斬新と言われていたんですよ。とにかく聴いたことがないタイプの歌で、やたらとかっこいいっていう。令和の今、ネットで再発見されて「こんな歌があるんだ」と驚かれているくらいですから、それを80年代前半に聴かされたらもう何が何やら。「ゴリラゴリラ」で、なんかわからないけどすごいのが始まったという印象でした。

片桐:歌っているほうは必死ですからね(笑)。

アニメシンガーになっていた可能性

――この後アニメソングで聴くことはなくなってしまったわけですが、歌がどれもすべて素晴らしかっただけに、非常に残念に感じていました。

片桐:色々なことがありまして。いわゆる事務所のゴタゴタがあったとか。レコード会社からは「また頼むね」とは言われていたんですけど、契約上難しいということがあったんです。

――ああ、そういう理由なんですね。

片桐:契約上、契約上って言うけれども、歌手なんだから歌ってもいいんじゃないかと思うんですよ。でも、事務所が気に食わないってことですよね。つまんないことですよ。

――もったいない……。それでは、依頼があればアニメを歌い続けることに問題はなかったわけですか?

片桐:はい。大丈夫ですね。

――織田哲郎さんもそうだったんですけど、あの当時はアニメソングを歌うことが嫌だったという人も少なくないんです。ところが、その歌のファンがたくさんいることが本人に伝わるようになって、織田さんは自ら新アレンジして主題歌を歌い直していますし(OVA『装甲騎兵ボトムズ 幻影篇』OPテーマ「炎のさだめ」)、YouTubeでライブを披露している方もおられます。

片桐:アニメってあの頃は、知ってる人しか知らなかったですよ。「アニメを歌っているんだ」と言うと、「へぇ~。それで自分の歌は?」って言われたくらいですからね。今はだいぶ違いますね。

――今ではその当時アニメを観ていた世代がプロデューサーになって、テレビでアニメソング専門の番組を作ったり、ゲームや高額トイも次々と発売されています。時が経つほどにますますアニメ世代に入れ替わっていきますよ。

片桐:なるほど、回転しているわけですね。

――最後に、今回初めて片桐さんの“生の言葉”に触れたファンの方たちへ、メッセージをお願いします。

片桐:みなさんおはようございます。あるいはこんにちは。こんばんはかもしれませんね。私が「ゴリラ!」を歌っていた片桐です(笑)。

一所懸命やってきた結果かなと思っているんですけど、みなさんが私の曲を大事に思ってくださっていることを改めて知って、とてもありがたく思います。やってきて良かったなと思いますね。

なるべくオープンな場で、いろんな話が出来たら素晴らしいなと思いますね。いつかライブか何かで会えれば最高ですけどね。どうもありがとうございます。


画像提供/片桐仁峰様
 
[2023年9月7日インタビュー収録 取材・文/設楽英一]
(C)国際映画社・つぼたしげお
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