
じゃがいも・バス・サーカス、どこまで本当?『グロウアップショウ ~ひまわりのサーカス団~』スタッフインタビュー企画「グロウアップショウ、クローズアップしよう!」時代考証・山田順子さん
サーカステントの支柱は金属ではなく丸太
── 先ほどお話をいただきましたが、本作は昭和30年代ごろが舞台となります。この時代の日本では、人々はどのような日常を過ごしていたのでしょうか。
山田:西洋と日本の文化がちょうどせめぎ合っていた時代です。一般家庭ではご飯とみそ汁、あとは一品のおかずが出ていたくらいでしたが、ファッション雑誌や料理本も出回っていて、オシャレな家庭ではステーキやシチューなどが記念日で作られていました。とはいえ、生活様式の基本は日本。自宅はまだちゃぶ台がメインで、畳の上に布団を敷いて寝たり、浴衣を着て寝たりしていました。
── ひまわりサーカスの事務所は畳敷きでしたね。
山田:そうですね。テーブルで、椅子に座ってご飯を食べる描写も出てきますが、あのような西洋式の文化はサーカス団なら入っていてもおかしくないだろうと考察をしました。
ただ、戦争によって鉄などの資材はぜんぶ大砲や軍艦の素材として使うために、国に提供され、一般家庭でもご飯を炊くお釜や包丁以外はぜんぶ国に取り上げられています。
── その爪痕がまだまだ残っている戦後の時代。
山田:サーカスも影響を受けています。木下大サーカスの資料を見たら、支柱を金属ではなく丸太にしていると書かれていました。サーカステントは木で作っていたみたいなんです。ただ、丸太を運搬するにはお金がかかってしまう。だから現地調達をしていた。丸太は加工もしなくていいから、現地にいる材木屋さんが貸してくれるんですよ。
── 本作でも木材でサーカステントが組立てられていましたね。
山田:当当時の調達を仕切ってくれたり、チケットを売ったりしてくれる地元の興行屋さんがいて、その方々と仲よくならないと、地方興行もままなりませんでした。サーカスだけじゃなくて、演歌とかのエンタメもぜんぶそう。そんな時代でした。
昭和30年ごろに、木下大サーカスを観に行ったことがあるんです
── この時代、サーカスは実際に娯楽として楽しまれていたのですか?
山田:江戸時代には綱渡りみたいなものがありましたし、明治の頃には玉乗りとか大道芸のようなものが既にありました。アメリカやヨーロッパへ行って、サーカス芸を日本でもやろうとする人たちもいたんです。戦後はアメリカ流がどんどん入ってきて、ブランコやショーアップされた綱渡りなどが見られるようになりました。
実はちょうど昭和30年ごろに、私も一度だけ木下大サーカスを観に行ったことがあるんですよ。子どもながらに、すごいエンターテインメントだなと思った記憶があります。
── そうだったのですね!
山田:とはいえ、当時の記憶が鮮明に残っている訳ではなくて。今回は、1950年頃のアメリカのサーカスについて描かれている映画『地上最大のショウ』も参考にしました。サーカスの衣装についても、戦後だからアメリカの洋服がある程度入ってきていて、水着もすでにあった。そういうことを踏まえながら、お嬢ちゃん(各キャラクター)たちの衣装デザインを見ていきました。
── 普段着についてはいかがでしょうか。
山田:お出かけするときの衣装などは当時のファッション雑誌や婦人雑誌をあさって、スタッフの方々に見せました。先ほどお話した通り、どこまで時代に沿うのかは作品次第。なかにはこの時代感には合わない衣装を着ているお嬢ちゃんもいますが、各々の個性付けをしたいという意図があるのだろうから、デザイン優先になっている部分もあります。
































