映画
富野監督が“役者”として戦争を問う『日本のいちばん長い夏』

富野由悠季監督が“役者”として戦争を問う――公開中の文士劇『日本のいちばん長い夏』試写会イベントでの半藤一利氏×富野監督トークショーの模様をご紹介

 映画『日本のいちばん長い夏』は、終戦から18年が経った昭和38年、ある雑誌の企画により集められた日本を代表する知識人、政治家、官僚を含む28名が、それぞれの“戦争”を振り返るという、延べ5時間にも及んだ実際の座談会の再現を主軸に、この映画に“俳優”として集められた著名な文化人達にもそれぞれの“戦争”を問うという意欲作だ。

 本作で、太平洋戦争時、陸軍大将としてラバウルで指揮をとっていた今村均(いまむら・ひとし)役を演じているのが『ガンダム』シリーズなどの監督でおなじみの富野由悠季(とみの・よしゆき)氏。というわけでこの作品はアニメ業界からも注目を集めている。

 今回は先日行われた試写会イベントでは、富野氏と原作者・半藤一利(はんどう・かずとし)氏のトークショーが行われた。

●映画の“元”になった座談会が開かれた理由

半藤氏(以下半藤):終戦後10年程経った頃から、「昭和史」と「太平洋戦争」というものをしっかりと残しておかないと消えてしまうのではないかと思い、調べだしたんです。当時は(当事者の方が)たくさん生きてらっしゃったので、その方達に会って取材するということをずっと続けていたんです。ところが訃報が次々と新聞に載るんです。なんとかいう提督が死んじゃったとか。

 「このままぼんやりしてると、みんな死んじゃって話を聞けなくなってしまうぞ」と思いまして、私は当時文芸春秋の編集部にいたのですが、「思い切って全員集めて座談会をやりませんか?」と提案したんです。

 本当に色々な人に、最終的に35人ぐらいに声をかけたんです。終戦時の徹底抗戦派が起こした「宮城事件(きゅうじょうじけん)」の当事者達は全員断ってきました。他の方はOKだったんですが、当時の首相の吉田茂氏と北海道知事の町村金五氏は都合が悪く欠席で、合計28人が集まりまして、約五時間延々とやったんですね。

 そのとき「どうやって戦争が終わったか、日本人全体が本当に知らないんだな」ということが良くわかりました。


●富野監督が、出演を引き受けた理由

富野氏(以下富野):この質問に対して、あらかじめ用意した答えはこうです。

 「僕には10歳以上年上のいとこが居て、彼がラバウル帰りだったんです。そしてそのラバウルで戦っていた陸軍の大将である今村大将の役が来たので受けた」と。

 しかし本当はぜんぜん理由が違います。ある日突然話が来て、本当のことを言うと今村大将のことなんかまったく知りませんでした。

 撮影のスケジュールを聞き、僕も、アニメといえど企画・製作をする人間です。キャスティングやアニメーターの手配なんかもやりますから、「ここで僕が断ったら現場が困るな」ということがわかって、引き受けたということが一番の理由です。そのくらいのことは現場の人間ですからわかります。

 ……という話を今していますが、「今村均大将のことはまったく知らない」という自体もウソだったということが一ヶ月ぐらい前にわかりました。僕が大学生ぐらいのころに書いた企画書の中に、今村大将にからんだものを見つけまして、とてもニコニコしているこの一ヶ月でございます。

(C)2010 NHK アマゾンラテルナ All Rights Reserved.

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●今日のテーマは“戦争を語り継ぐ”――事実を伝承するために苦労した点は?

半藤:“残す”ということは、ちゃんと形にしていかなくてはいけないんです。活字にしても映画にしても。そうしないと失われてしまいます。

 今から15、6年前ですが、ある大学で三ヶ月間だけ講師として教壇に立ったことがあるんです。そのクラスは50人いたんですが、「日本とアメリカは戦争をしていなかった」と思っている学生が何人かいて、これには私も驚きまして、このままじゃますますこの国は何にも無い国に、歴史を何も知らない国になっちゃうぞと思いました。

 これは世界に出て行くためには非常に良くない事ですよ。世界の人たちはみんな自分の国の歴史を知ってますから。だから、しっかり残しておかなくちゃいけないぞと。

 そのための“語り継ぐ”という言葉があるのですが、もう(戦争を知っている人の)半分はあちらにいっていて(亡くなっていて)、間もなくおしまいになります。「後に続くものを信ず」という昔の言葉を信じて、やっております。


富野:戦後18年ぐらいしか経っていないのに、関係者や当事者がお互いに伝え合うことをしていなかったという事実がある。今回の台本を読んだ時点でそれはわかったんですが、同時にこの映画への出演を「嫌だな」と思った理由もまたそこにありまして、組織の末端のこれだけ違う人たちが集まって、座談会が成立するとは思っていない、そういうものが実際に作品になるのだろうか、という思いもあったんです。

 そして、今の大学生の話は極端な例だと思いたいのですが、こういう切り口からでも語り伝えなくてはいけないのではないかと、考えなおして出演しました。

 出演して、実際に昭和20年(終戦)の記憶というものを、人がどんな風に共有するのか、追体験しようと思ってみたら追体験できない。逆に座談会の内容を台本で読んで改めて、戦争の原因とか、軍人や民間人たちがどのように太平洋戦争に参加し得たのかが気になってきて、それを出演後も一年近く調べるようになり、「語り伝える」ということを積極的にしなければいけないとも思いました。

 敗戦の戦史とか、俗に言う“戦記もの”を読むということは、僕の場合で言いますと20歳のときにもう止めてました。つまり「こんなひどい負け方をする戦記ものを読んで楽しいわけが無い」と。基本的に戦争について考えることを遮断した経緯があったのですが、改めて40年近く経ってみると、「語り伝える必要はある」と思い直すことが出来た。そういう意味では、今回こういう作品に参加させてもらってありがたかったと思ってます。

 きわめてプライベートなことを言いますと「個人的に死ぬまでやる仕事が見つかった」ということです。

●アニメで「戦時下の世界の人間ドラマ」を表現してきた富野監督の“感じ方”

富野:20歳ぐらいの時に戦争について考えるのを止め、そしてTVアニメの仕事をやるようになったとき、「戦争もの」を作るつもりまったくありませんでした。巨大ロボットが“らしく”活躍できる場所を考えたら、戦場、戦争しかなかったからそうしただけです。宇宙戦争にしたのは、そうしないと子供達に見てもらえないからということです。

 しかし今、「しょうがなく」といったのも半分ウソです。むしろ“宇宙戦争もの”にすることで“戦争もの”を作ることができれば、それはそれで作品として面白いものになるだろうなという予定は立てました。

 20歳ぐらいのときに戦争について考えるのを止めた人間ですから、「戦争もの」を作ろうとは思いませんでしたが、中学や高校のころはそれなりに戦記ものを読んでいたわけです。ですから、どうせ戦場を舞台にするならば、基本的にTVアニメやおそらく実写でもそうなんですが、従来の“戦争もの”できわめて手を抜いている描写、その部分だけは越えてみせるという思いがありました。“戦争もの”を作るときに戦闘シーンだけで作れるわけが無い。つまり戦争を成立させるための要素、“兵站(へいたん)”の問題です。

 兵站というのは補給です。前線部隊にどのように物資が補給されなければいけないか、物資が補給されない限り、戦争、戦場というものは成立しない。そして、20歳までに僕が知った事は、旧日本軍は陸軍も海軍も兵站のことを何一つ考えていない。

 陸軍に関して言えば基本的に現地調達です、すなわち略奪です。海軍はそれすら考えていない人達の集まりだった。何を考えていたのかというと、要するに軍艦オタクの集まりだったんです。艦を動かしていれば気が済むという連中で、彼らは戦争のことは考えていませんでした。

 戦術論から逆算すると、どう考えてもこんなバカな戦争が出来るはずが無い。ラバウルという場所がどこだかわかりますか?東京から4000km離れたビーチをどうやって確保できると思ったんだろうか?と。

 今から6、70年前の軍人達の中には本気で出来ると思っていたらしいのが2、3人いたんですが、前線の舞台の兵士や将軍達は出来るなんて思っちゃいないんです!東京にいる奴だけが出来ると思って、「お前ら行けと」命令していたのが太平洋戦争です。

 そういう昭和の軍隊を考えたときに、巨大ロボットアニメといえども兵站の事ぐらいは考えているよ、と思って作ったんだけれども、その部分から始まっている戦争論を、今回自分が今村大将の役をやらせてもらって、今村大将という方がどういう気持ちであの座談会に出ているのかと、個人的に調べたことが山ほどありまして、「あの顔つきでは間違ってた!」という演技論までわかりまして、今ものすごく困ってます(笑)。

 おそらくあの座談会のときの今村さんは、もっと優しいお顔をされていたんじゃないかと思うんです。あの撮影の時、僕は「この馬鹿ども!こんな場所で話したってしょうがねぇだろ!」という話し方をしてしまいました。だけど、あの座談会のときの、昭和38年頃の今村大将は、もうちょっと寛容な、円満な方になってらしたのではないかと思います。


半藤:これは確かに、もっと穏やかな方だったと思いますねぇ(笑)。

●富野監督の憤りと半藤氏の使命感が生み出した『日本のいちばん長い夏』

富野:それがわかったのは三ヶ月ぐらい前なんですけれども、今村大将に申し訳ないなと思っています。本当にいわゆる艶福家で、いいお顔になりました。

 今村大将というのは戦犯になった人です。戦後、巣鴨拘置所に収監されて、お役も済ませて帰ってきた方ですが、東京にいた連中はそういう軍人に対して何一つ、「ごめんなさい」も何も言ってないというのはいまだに僕は許せません。


半藤:今の今村大将の話につけ加えさせていただきますと、この方は確かに戦犯にはなりましたが、A級(極刑)ではなく、B、C級戦犯になった方です。それも戦時中の部下の責任を取るという形で戦犯になりました。

 この人は大将なので、巣鴨にある専用の拘置所に送られるはずだったのですが、「私は部下と一緒に暮らすのが当然である。東京の設備のいい拘置所に入る気は無い」と、自らの希望でマヌス島というところにある兵隊達と一緒の拘置所に入りました。

 そこでも「大将が来る」ということで、他の受刑者達も心強く思い、勇気を持って刑に服しました。その後マヌスの閉鎖に伴い巣鴨に移り、やがて出所したんです。

 戦後も、陸軍の行ったことについては何一つ包み隠さず、どんな質問にもちゃんと答えたという、とても立派な方でした。そういう方も日本の軍人の中にはちゃんといたんだということを、やはり、私達は残しておきたいんですよね。

 本気になって、日本のため、国家のために尽くした人も沢山いたんだということは、やはり残しておかなければいけないと思いまして、出来る限り公正に公平に書くようにするというのが私の仕事だと思います。


──(司会)では最後に、この映画の見どころを一言づつお願いいたします

富野:僕は少し出させていただいただけなので、そんなこと言えるわけ無いじゃないですか。監督も来てるんだから、そういうのは監督がしゃべらなきゃ!

半藤:これは私達二人が言うよりも、監督さんに言って頂いた方が良いですね。

倉内均監督(以下倉内):両先生のお話で十分魅力は語られたと思いますので、ご覧いただければ幸いです。

富野:だから先刻「ミスった」って言ったじゃないですか(笑)。


 映画『日本のいちばん長い夏』は新宿バルト9、丸の内TOEI2ほかで公開中。アニメとも普通の実写映画とも一味違う“文士劇”の魅力を、この夏味わってみてはどうだろう。


>>映画『日本のいちばん長い夏』公式HP

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