
あえて“普通”を意識せず臨んだ第8話の収録。箱山の言葉があったからこそ、冬賀の笑顔を引き出すことができた|『花は咲く、修羅の如く』冬賀萩大役・千葉翔也さんインタビュー【連載第6回】
2025年1月7日(火)より日本テレビ・BS日テレほかにて放送中のTVアニメ『花は咲く、修羅の如く』(以下、『花修羅』)。
本作は、人口600人の小さな島・十鳴島に住む少女・春山花奈が、高校で放送部に入り、仲間と共に大好きな「朗読」に向き合う物語。『響け!ユーフォニアム』などで知られる武田綾乃先生がつむぐ高校生の心の成長を、新鋭作家・むっしゅ先生が繊細な筆致で描く青春ストーリーとなっています。
アニメイトタイムズでは、各キャラクターにスポットが当たるエピソードの収録後にキャストインタビューを実施。
第8話は、「Nコン」のために放送部1年生が制作した動画のドラマが完成するエピソード。クライマックスで流れるBGMがどうしても気に入らない冬賀萩大が、自分の引っかかっていた「“普通”とは?」というところに向き合い、それを乗り越えていく物語でした。
そんな冬賀というキャラクターをどのように捉え、演じていったのかを千葉翔也さんに伺いました。
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「言っていること=思っていること」なので、演じやすいと感じた冬賀
──原作を読まれたときの印象をお聞かせください。
千葉翔也さん(以下、千葉):オーディションの際に読ませていただいたんですが、スッと入ってくるナチュラルな空気感があったのと、才能の描き方がすごくいいなと思いました。
才能を持っている人が、「才能を持っていないと自分で思っている人」を無意識に傷つけたり、圧していく部分にハッとするけれど、絵柄がかわいらしいので、漫画的にはとてもわかりやすい盛り上がりになっているんですよね。なので、リアルな部分とそうでない部分のバランスが、すごく絶妙な作品だなって思いました。
あとは、朗読中のイメージ世界の描写もすごく魅力的でした。僕が「朗読ってそうあってほしいな」と思っていたものが、高い解像度で具現化されていて、「めちゃくちゃいいな!」って思いました。
──放送部の話ですが、放送部にはどんな印象を持っていましたか?
千葉:放送部に関しては、あまり知識がありませんでした。(僕の学校では)放送で好きな音楽を流したりと、ほぼDJみたいな部活だったと思うので、こういう大会があるのも大人になってから知りました。各部門があって、それに対してしっかりとした基準がある、クリエイティブな部活なんだなってことは、この作品を読んで初めて知ったので、奥が深いなと思いました。想像以上に体育会系ですよね。
──「Nコン」を目指して、みんな真剣に頑張っていますからね。「Nコン」はご存知でしたか?
千葉:それも大人になって、「Nコン」経験者の話を聞いて、存在を知りました。アナウンスの大会だと思っていたので、朗読部門もあるというのは驚きでした。
僕が声優の養成所に通っているとき、朗読とナレーションの割合が多くて、朗読をシステマティックに採点することに対して、僕もそうあるべきだと思っていたので、逆にそんなシビアなことを放送部でやっていることにも驚きました。
──オーディションでの思い出はありますか?
千葉:冬賀は、「言っていること=自分の中で思っていること」なので、嘘がない人物だと思います。周りには空気が読めないような映り方をしますが、本人的には誰かを煽ったり傷つけたり、競う感じすらないと思ったので、ものすごく演じやすいなという印象がありました。
ただ、オーディションのときは「もっとわかりやすくイヤなヤツとか良いヤツに映ったほうがいいのかな?」っていう欲が出たんですが、自分の中で答えが出ている人物だったので、「それが違っていたら仕方ない!」と思って演じさせていただきました。それで、ありがたいことにご縁をいただけたので嬉しかったです。
──記号的に演じるというよりは、最初に思ったままの冬賀像で演じたのですね?
千葉:そうですね。映り方の問題で、彼にとっての正義があって、それは最初に読んだ印象から今もあまり変わっていないです。
ただ、アニメの演出意図と空気感は、僕が思い描いていたものと微妙に違う部分があったんです。アニメは、そういう意味で冬賀の正義をあまり押し付けないというか⋯⋯ほかの人と交じわらない感じがする描き方をしているなと。僕はもっと交わると思っていたので、その調整に時間がかかりました。
──「交わらない」というのは?
千葉:僕は「この子の正義もわかる、それが知れて良かったな」と感銘を受けながら読んでいたんです。たとえば、何かコンプレックスがあって、「これが原因だから新しい考え方を注入したら解決するよね」っていう気持ちで原作を読んでいて、そこにカタルシスがあると思ったんです。
──互いに影響を受け合って成長していくような感じですね。
千葉:でもアニメだと、意外と「人は変わらない」みたいな部分も描かれていたので、それだけではないんだなぁと。
そこは僕があまり考えていなかったところだったので、そうなると、冬賀自身が花奈ちゃんから受ける影響の大きさとか、秋山をシナリオライターにして映画を撮るエピソードにおいても意味合いが変わってくると思いました。そういった部分を第8話に至るまでに、自分の中に落とし込むことができたので良かったです。
──そういったことは、ディレクションから感じ取っていくのですか?
千葉:そうですね。すでに自分的には薄すぎると言われる可能性も考えながら演じていたつもりだったんですが、さらに言葉の説明を減らしてほしいというディレクションがあったので。昨今「ナチュラルなお芝居で」と言われることも、打ち出すこともあるし、僕自身もそういう作品が好きなんですが、「作品ごとに持っているナチュラルさがあるな」と認識が深まりました。
この作品の場合は「ドラマが勝手に動いていく」ということをやりたいんだなと。
そう感じたことも含め、この作品は、キャスト同士ですごくしゃべることができた現場でもあったので、みんなと調整ができたことは良かったと思っています。
──作品ごとのナチュラルさや、アニメの演出意図もありますからね。
千葉:朗読が持っているロマンティックな部分がすごく素敵に描かれていて、それによってセンセーショナルにみんなの心が動くけれど、人格までは変わらない、みたいな。そのあたりが、他では見ることができないような雰囲気になっていると思いました。
あと、原作もアニメも、キャラクターデザインが魅力的で、表情も豊かに動くので、それに合わせてお芝居も彩りがある感じになりやすいんですが、絵に任せる部分と声が担う部分というところで、しっかり制作の皆さんの中にビジョンがあるんだなと感じました。
作品の最終的な到達点は「青春」だと思っているんですが、制作の皆さんも、すごく“陽”の気を持つ人が集まっていて、雰囲気の良い制作チームで素敵だなぁって感じています。
何度も泣きそうになる、第7話の印象的なシーンとは?
──ここまでで印象的なエピソードはありますか?
千葉:第1話は、冬賀のシーンがほぼなかったんですが、1ワードだけあったので収録に参加することができたんです。そこで、花奈ちゃんが雨の中で朗読するシーンを生で見ることができたのが何よりの収穫でした。
花奈役の藤寺(美徳)さんの朗読が、「誰がやってもそうはならないだろう」というオリジナリティがあったんですよね。テイクは重ねていたんですが、テイクごとに違う正解が出ていたので、シビれるなぁと思いながら見ていました。
それと、これは変な言い方ですが、ガワの部分ではないところでOKが出る現場なんだなっていうのを、第1話にしてメインキャストみんなが理解したと思うんです。「気持ちを出して良いんだな、頑張ろう!」ってみんながなっていたと思います。
──それはどういうことですか?
千葉:演じるときに気持ちを優先すると、音が聞こえにくくなったり、ランダムなリズム感になったりすることがあるんです。でも僕はそういうところが好きだし、必要だと思っているので、この作品の方向性はどういう感じなんだろうと思っていたら、「説明できない良さ」みたいなものを汲み取ってくれる現場だったので、心から嬉しかったです(笑)。
あと第2話の掛け合いで、朗読を始めた途端に、花奈ちゃんの異質さに気づく杏ちゃんの描写もすごく好きです。杏ちゃんの中には正義も知識もあるけれど、それを超越した“才能”に触れたときの顔が、めちゃくちゃ好きです。結構、そこがこの作品を象徴しているシーンなのかなぁと。
僕自身、そういう感覚になることが、これまでのキャリアの中であったので、「この気持ちをどう救済してくれるんだろう」って、杏ちゃんに気持ちを委ねてしまうところすらありました。
第3話の「こんな夢を見た。」(夏目漱石 短編集『夢十夜』)も良かったですね。ここは、このひと言で瑞希が衝撃を受けるシーンで、演出でそう見せることもできるのかもしれませんが、演出がなくてもそう思わせるような(吉祥寺先生役の)遊佐浩二さんの朗読に感動しました。
──杏のシーンは、最初に話されていた、才能の描き方が象徴的なシーンでもありますね。序盤以降ではいかがですか?
千葉:やっぱり大好きなのは、「Nコン」のための動画制作(の劇中ドラマ)で、秋山くん(航大役)が、脚本と違う言葉を発するところですね。あそこは何度観ても泣きそうになります。
──「天才だと思った」のシーンですね。
千葉:あそこの秋山くんに共感してしまって⋯⋯。花奈ちゃん(紬役)が「だから私は選ぶ、己の道を。これが本当の私だから」と言っているところを見ている航大にリンクして、思わず泣きそうになってしまうんですよね。本当はお姉ちゃんにそう言ってあげたかったんだっていう、秋山くんの過去との対面みたいな感じになるのも、すごく好きで⋯⋯。
でも冬賀としては、第7話は秋山くんに結構刺さるようなことを言っているんですけどね(笑)。
──ドラマの演技ができない秋山に対して「俺はお前が演技できないとは思えない。普段から胡散臭いいい子の芝居してんじゃねえか」と言っていましたね。
千葉:ただ、それも冬賀自身は刺しに行ってはいないので、僕的にも演じた手応えはあまりありません。
僕自身、そこでの「言い方」よりも、「字面の情報」が大事だと思っているんです。言い方がとがっていたとしても、言っていることが褒めているなら褒めているんだろうし、逆に言い方が優しくても、褒めていない言葉なら褒めていない。そういう意味で、冬賀をやっていて、あまり違和感がないんですよね。ここまで違和感がない人に出会うことはそんなにないので、ありがたいなって思います。
──言葉がそのまま、思っていることの人ですからね。
千葉:なので、「何を言っているのか」という字面と、あとは文脈として「何を大事にしているから、この言葉が出てきたのか」ということだけ理解できていれば、そこにブレはない気がしています。
──多少秋山を焚き付けてはいるけど、ただただ本心で思っていることを言ってるから、言い合いにはならないんだろうなと思いました。第2話での花奈との会話もそうですが、裏表がない感じが、逆に信頼できるし、いいんですよね。
千葉:ただ、みんなからどう見えているのかが、まったく想像できなくて。普段は、どう見えているのかも考えた上で深堀りするんですが、深堀れば深堀るほど、外面の印象がわからなくなるので、アニメを観た方が冬賀をどう思うのかは、今の時点ではわからないです(笑)。ただ、第2話の花奈との掛け合いのあと、藤寺さんが「イメージ通りでした」と声を掛けてくれて、すごく嬉しかったです。