
時代を超えて交差する「よい芸」と“古典”を現代に表現する意義──アニメ『ワールド イズ ダンシング』監督・黒柳トシマサさん×アニメーションプロデューサー・溝口侃さん対談インタビュー
「答えを出したいわけではなかったりしますから」
──溝口プロデューサーにとっての「よい芸」「よいもの」とはどのようなものでしょうか。
溝口:そうですね……自分にとって「理解しがたいけれど、それでも素晴らしいと思ってしまうもの」が、よいものだと思っています。
個人的に好きなものはいっぱいあって、自分の人生を立ち返ると記念碑的な作品がいくつもあります。それらを見ても「わからないけど、なんか良い」と思った瞬間を思い出して。
人間って、自分が安心するために色々なことを分類していくと思うんです。あれはこう、これはこうと、どんどん理解をして、理解をすることで安心を得る。でも自分にとって本当によいと思うことってどこか、何か理解できない。「自分は本当に正しいのか」と問いかけてくる。そんな「よいもの」と出会えてきたからこそ、今僕はこの場に立っているという感覚があります。
何がわからないのか、何がよいのかは生きているそのときによって変わっていくのですが、やはり折々、自分にとって好きなものや「よいもの」は自分では理解しきれないんですよね。名状し難いパワーを持って僕に迫ってきたものを、出会ってから10年後くらいに「こういうことだったのかな」と思う瞬間がきたりして。その瞬間が、僕にとってたまらなくよいなと思います。
──人類が「よい」を瞬間的に理解できるときは、いつか来るものなのでしょうか……。
黒柳・溝口:(笑)。
溝口:今言ったことって、ある種「言語化できない」ということに少し近いのかなと思っていて。言語化できないからこそ言語で想いを馳せる。それも良い体験だなと思っています。
理解できる瞬間が一生こなくても、それはそれで一生考え続けられるので僕は嬉しいなと(笑)。答えを出したいわけではなかったりしますから。
──鬼夜叉が「白拍子の舞」を覗き見たとき、“よい”という読みの漢字が無数に出てくる演出がありましたが、今のお話と通じるのかなと。
溝口:そうですね、まさしくその通りです(笑)。
──黒柳監督から見た、溝口プロデューサーの作るものが持つ「よさ」はどのようなものでしょうか?
黒柳:溝口さんが発起人として始まって、その情熱に僕たちは当てられて(笑)。必ず良いものにしたいと思っていました。
アニメーション制作は、基本的にメーカーの方から作品がきて、やるかやらないかを決めることが多いんです。今回のように現場から「こういったアニメを作りたい」と始まるのは、ちょっと珍しくて。しかも内容は「“能”をテーマにした世阿弥の話」です。企画として成立するかどうかは一旦置いておいて、こういう作品が好きだという人は現場に多いんですよね。
同時に今回のような作り方がうまくいけば、今後第二、第三の“溝口さん”が生まれて「自分たちも」と後に続くことができるんじゃないだろうかと。そういった意味でも、負けられないなという想いがありました。
溝口さんはただ「作りたい」だけではなくて「どうしたらもっと良くなるか」を躊躇なく現場に言ってくれるんです。もちろん「ここ、よいですね」と褒めてくれるし、同時に「こうした方がもっと多くの人に伝わるんじゃないでしょうか」とも指摘してくれる。さらに言うだけではなく、理想を実現するための人の手配などもひっくるめてやってくれるんです。だから言葉の一つひとつに責任があるんですよね。溝口さんのようなプロデューサーは一緒にいて気持ちが良いので、今回一緒に制作できて良かったなと思っています。
──アニメーション制作はピリピリする瞬間もあるのかなと思っていましたが、純然たる組織像といいますか。
黒柳:そうですね。僕自身は、どの現場でもアニメ作りをキツイと思うことはないんです。大変だなとは思いますけどね(笑)。でも好きでやってることなので。
溝口さんのそばにいる制作進行のみんなや作画のみんなが、本当に気持ちの良い人たちだったので、こんなに作品がよくなるのかとワクワクしながら現場を見ていました。そういった意味でも、とても楽しい現場でした。
































