2022年4月後半の総括(褒め言葉 )|青山吉能『みずいろPlace』#46
皆さんこんにちは、元気ですか?
わたしは元気です。
青山吉能です。
今年はほんの一度も桜の集団を見ることがありませんでした。
近所にいつも咲いていたはずのところが記憶の中ではあるのですが、伐採されたか、目もくれない日々を過ごしていたか、どちらかのようです。
お花見というのは昔からずっと無くならない文化のひとつで、きっとそれには理由があり、それは人々の心の余裕を確かめられるという生活に必要な要素なのだと思います。
スマホや足元、人生の底ばかり見るのではなくてたまには空を見上げましょうね、みたいな・・・。曇り空でした。
さて4月、5月とさまざまな単独公演が控えております。
きたる4/24(日)には小春六花1stLIVEが、そのおよそ1ヶ月後・5/15(日)には青山吉能バースデーライブが。
小春六花のライブには、花梨先輩と千冬ちゃんがゲストで出演しますが、青山吉能のライブの方はわたしひとり。やることなすこと全てわたしにかかっています。まあライブ制作というものは皆さんが知ることのないところで適材適所に役割分担している部分もあるので全てが全てわたしの息がかかりまくっているというわけでもないのですが、観てくださるファンの方は「これ全部青山さんがやったんだ・・・!」と思うでしょうから、その日作られるすべてのものには責任を持ちたいのです。
「責任」。
先日、よぴぴん家生配信でも色々と発表したなかでひとつ戸惑わせてしまった事柄ですが、5/15(日)のライブには配信機材等いれる予定はありません。これはわたしがそう決めたというより、最初からそう決まっていました。
昨今の音楽ライブ事業には「現地・アーカイブ配信」という二択が急激にオーソドックス化されていますね。わたしも一オタクとして、配信があるとすっっごく助かるし、なにより受け取るものが皆平等であるというところが利点としてあげられます。
ここで去年2月のわたしの気持ちを振り返りたいのですが、
ライブって、とても不平等だと思うんです。チケット代は同じなのに、最前で観られる人がいたり最後列の人がいたりはたまた190cmの人が自分の前にいたりなんかしたらちっともステージ見えないし。最前って言ったってスピーカー側だったらはじっこ見えないし耳は飛んじまうし。 でも、それでも愛おしいものがある。知らない人と、普段なら絶対にないこそばゆい距離で同じものに対して愛を注いで、わたしの左目の下にほくろがあることだって、左サイドにいる人しか見えない。わたしが人知れず君にレスを送っていたことだってひょっとしたら君しか知らないかも知れない。 190cmの頭の間からのぞいて見える小さな推しの姿が、どんなに高画質で良い表情を捉えてる配信映像よりも輝いて見えるかもしれない。素敵なものだらけの宝石箱に飛び込んで、それのなにを選択するかを来てくれたみんなの自由。だからそれぞれの場所でそれぞれの感想が生まれていく。 その不平等さが、いまはとても愛おしいと思います。 今はまだ難しいけれど、そのこそばゆい自由をいつかまた皆さんと味わいたいです。
5/15は、そのこそばゆい自由を皆さんに楽しんでいただきくときがようやくやってきたのかなと思っています。
一番後ろの一番端っこに座るかもしれないきみにも、最高の思い出とありがとうを届けられるように、特別なことはできないかもしれないけれど、精一杯の気持ちで歌います。
そのほかさまざまな想い等アーカイブを残していますのでよかったらご覧ください。
どうか、何卒ご容赦いただけますと嬉しいです。
まずは!4/24(日)に行われる「小春六花1st LIVE!初登校!」に心を向けていきます。
「デラシネ」を生んでくださったハヤシケイさんのゲスト出演が発表されて、昂りすぎてわたしは小春六花の形を保つことができるのかが心配ですが、こちらも本当にたっくさんの曲をお届けいたしますので、ご覧になる皆さんは今のうちからスクワットの練習でもしておいてください。
花梨先輩と千冬ちゃんのステージもとっても楽しみですもんね〜!
小春六花として立つステージ。六花の壁はとてつもなく高いですが、共に歩いてゆく気持ちで臨みたいと思います。
最近は色々と新しいことが始まったり、アーティストデビューもそうですが、『いつもどおりだな〜』みたいなことがあまりなく、どこかに緩まない系がピッと張られているような緊張感と生活をしています。
褒められたい...!
あ〜〜〜〜〜〜あ褒められた〜〜い!!!
生きてて偉いはずだったのに生きてる以上のことしてて偉いよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!14時に起きてラーメンとチーズバーガーと餃子だけ(とパスタとうまい棒とたまにブラックサンダー)食って適当に散歩してるだけで5兆円ほしいよ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!
なんちゃって(^_^)
でも皆さんも訳もなく無性に褒められたい時、ありますよね?しかもより正しく褒められたい時、ありますよね?ついでにもひとつ目の前で他の人が褒められていると自分が否定されていると感じる時、ありますよね?
わたしにはあります。まさにそれが上記の状態なんですが。
思えば声優になろうと思ったきっかけも、小学校のクラスメイトからの「よっぴーメイドさんのモノマネうまいよね!」という褒め言葉でした。青山吉能(10さい)はその言葉を鵜呑み&拡大解釈して今に至るというわけです。
褒める・褒められるというのはときに人生を左右します。
あのときあの人がこう言ってくれた、あのときあのオタクがここを見ててくれた、どんなに小さいことであっても心に残る褒め言葉ってありますよね。
それでは「正しく褒められたい」というのはどういうことなのか。
もう少しだけ言葉を展開すると、「正しい事柄を、それに見合う言葉で褒められたい」という意味があります。
お話の途中ですがここで1曲お届けします。Official髭男dismで、ゼロのままでいられたら。
例えば昨年のライブを企画したときも、「よっぴー一人でなんでもやってて凄いよね」というお言葉をたくさんいただきました。が、これは正しくないです。たくさんの専門家の方の助言や支援があってこそのもので、わたしひとりでやり遂げられたなと思うことはひとつもありません。世界にわたし一人しかいなければひょっとすると凄いのかもしれませんが、う〜んやっぱりそれでも凄いとは思わないのでやっぱり凄くないです。
正しくないことを褒められると、そこを言葉にして正したときにいかに平凡であるかを自他共にわからせてしまうので、もともと0でしかなかった基盤が何故だかマイナスになってしまう現象が起こります。
今年は出来るだけ凪のような人生を送りたいと度々口にしていますが、まさにそれはゼロであるということ。それがイチやニになった時、きっとそれはわたしがものすごくやりきったり成し遂げたりしたときだと思います。
そうなったときに、「よっぴー凄いね」って言われたらなんて幸せなんでしょうか。
あの子みたいに余裕がない、あの子みたいに充実してない、勝手に人と比べてしまってそう思うことばかり。
でもその通り。あの子にはあの子の素晴らしさがあるように、わたしにはわたしの素晴らしさがあって、青山吉能たる所以が人生に記されてる。
このコラムだって、いろんな現場でお褒めの言葉をいただきます。毎回人生と向き合って毎回天才だ…と思いながら脱稿しているので、褒められるというのはいわば人生の肯定でもあり、とても嬉しいです。
目は口ほどに物を言いますが、わたしが一番物をいうのはこのコラム。(お芝居で物を言え)(はい…)
は〜やっぱり私って普段はあえてちょけてるけど超真面目でかつ文才もあるというギャップがたまらなくいじらしくて、なのに歌は上手いし喋ると面白いしサービス精神旺盛でスタイルも良くマメで視野も広い完璧プリティーウーマンなんだ〜〜〜〜!!!!!!
きっとライブパフォーマンスも天才的で皆の心を鷲掴みにしちゃったりして、100000年に1度の声優とか言われちゃうんだろうな〜!!!!!!!!!!!!!
それでは最後にこの曲で終わりたいと思います。日向坂46で、ソンナコトナイヨ。
さようなら。
青山吉能
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編集担当:川野優希