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アニメ

『キングダム』蒙武(もうぶ)とは? 蒙驁(もうごう)将軍の息子で、蒙恬(もうてん)のパパ。王騎(おうき)の死を招いたことにふさぎ込むことなく、”中華最強”を目指して成長中!
史実の蒙武
ここまで『キングダム』の蒙武を見てきましたが、今度は史実の蒙武を見ていきましょう。
昌平君との関わりも気になります。
『史記』の蒙武
中国 戦国時代のことを知ろうと思ったら、頼るべきは『史記』です。
『史記』は、前漢 武帝の時代に司馬遷が編纂した約53万字の紀伝体(年代順ではなく人物や国ごとに出来事をまとめた形式)ものです。武帝の時代なので、秦が滅んでから100年ほどのちに書かれた歴史書ということになります。
『史記』「蒙恬列伝第二十八」には、『キングダム』と同じく、“蒙武は蒙驁の子で蒙恬と蒙毅の父である”と書かれています。
「始皇本紀第六」には、“王翦を総大将にして楚攻めが行われた”とあり、「蒙恬列伝第二十八」を合わせて読むと、この時、蒙武は王翦軍の副将を務めたことがわかります。
この時の楚王は、昌平君。王翦と蒙武が昌平君に倒しにいくという、『キングダム』ファンには悲しい構図です。
そしてついに、
〈二十四年王翦と蒙武が荊を攻め、荊軍を破った。昌平君は戦死し、項燕は自殺した〉
とあります。
“始皇24年(紀元前223年)に秦が楚を滅ぼした”ということですね。
項燕(こうえん)というのは、昌平君を楚に呼び戻し、王に担ぎ上げた人。荊というのは、楚のことです。
そして、蒙武の名が見えるのは、ここまでとなっています。
息子の蒙恬については、列伝があるため詳しくわかるのですが、蒙武についてはその最期などの詳細はわかりません。家族内のようすなどがわかると面白いのですが、やはり日常の当たり前については文章に起こされることはないのでしょう。
※引用部は、司馬遷、小竹文夫・小竹武夫訳『史記1本紀』筑摩書房、1995 から抜粋させていただきました。



































