
『果てしなきスカーレット』細田守監督インタビュー|コロナで生死をさまよったからこそ生まれた死後の世界への描写、復讐の連鎖を断ち切るための「赦し」とは
全世界が待ち望んでいた細田守監督最新作映画『果てしなきスカーレット』がついに2025年11月21日に全国で公開されます。『時をかける少女』から脈々と紡がれてきた細田監督の新たな物語は、時代の流れを経て、「復讐劇」という形で描かれることになりました。
昨今、様々な世界情勢を鑑み、思うことがあったと語る細田監督。映画監督だからこそやらなければいけなかった「復讐劇」、そしてその先にある現代の若者に向けた「未来」とは何だったのでしょうか。
本稿では、細田監督に行ったインタビューの模様をお届けします。『果てしなきスカーレット』がどのように作られたのか。映画公開前に、本稿と通して細田監督の思いに触れてみてください。
絶望の中から「未来」を見せる
──本日はよろしくお願いします。
細田:よろしくお願いいたします。実はこの映画が完成したのは、つい一昨日のことでした。
──完成直後のお気持ち、そしてこれから日本全国の皆さまにご覧いただくことへの思いをお聞かせください。
細田:今回、いろいろな新しいことに挑戦し、試行錯誤を重ねてきましたので、果たして皆さんにしっかりと伝わるのかどうか、今はまだ手応えを掴めていない状態です。ですが、自分にできることは精一杯やりきったという実感はあります。この作品を多くの人に楽しんでもらえたら嬉しいな、と願っています。
──『果てしなきスカーレット』という映画の企画の始まりやテーマ、また作品を通して伝えたいメッセージについて教えていただけますでしょうか。
細田:この映画では、「復讐」というテーマを中心に据えました。といっても、ただ単なる復讐というよりも、「報復の連鎖」について考える作品にしたいと思ったんです。今作の制作を始めたのが、ちょうどコロナが明け始めたくらいの時期でした。その苦しい時期が過ぎて、やっと落ち着けると思った矢先に、ご存じの通り世界中でまた新たな争いや悲しい出来事がたくさん起こりました。
その様子を見ながら、どうして人は報復をし続けるのか、そしてその先には何が待っているのか。この問いが頭から離れませんでした。このような状況に立たされている「現在」を考えながら、このテーマを持って映画を作り上げようと決意しました。
──そのテーマ設定には深い思いが込められているのですね。『果てしなきスカーレット』の企画にあたって、具体的にどのようなインスピレーションを受けたのでしょうか?
細田:今回の作品は、復讐劇がテーマなのですが、復讐劇の元祖といえばシェイクスピアの『ハムレット』ですよね。この物語に触発されて、そこからインスピレーションを得て一つのベースとして制作に臨むことを考えました。
復讐劇というのは、世界中で非常に人気のあるエンターテイメントのジャンルだと思います。たとえば、かつて私が働いていた東映アニメーションでも、悪い敵を倒して勝利を手にするような映画がたくさん作られてきました。でも今の世界を見ていると、ただ単に「善」と「悪」で敵をやっつければいい、という話にはならないと思っています。それぞれに正義があり、復讐を果たしたと思った側が次は逆に復讐される。そんな報復が繰り返されていくと、その先に待っているのは悲劇なのではないかと思い至りました。
この映画を制作するにあたって、そういった報復の連鎖や、それが生み出す絶望の中で少しでも「未来」を見出せるのかという課題に挑みました。映画作りは、本当に時間がかかります。この作品にも4年という月日を費やしました。その間、世界情勢が良い方向に向かうことを期待していましたが、現実はそれほど楽観的ではなく、むしろ複雑な状況が続いているように思えます……。
「果てしなき」が意味するものとは
──『果てしなきスカーレット』の「果てしなき」という言葉にはどのような思いが込められているのでしょうか?
細田:「果てしなき」というのは、文字通り「終わりなき」という意味とも取れると思います。終わりなき争いが続いていくとも言えるし、逆に捉えれば、終わりなき試み――つまり争いを終わらせようとする努力が続いていくとも言えるんですね。
例えば肯定的な意味で捉えるならば、「果てしなき」というのは、永遠に続く努力や挑戦の象徴でもあると言えるでしょう。一方で、人間はある種「呪われたように」果てしない争いを続けていくものかもしれない。どちらの解釈にも問いを投げかける言葉として、このタイトルに込めたつもりです。
また、具体的にはスカーレットというキャラクターが16世紀の王女であるという設定から、その生がその後の時代や状況にも繋がっていく...そうした意味での「果てしなさ」を感じていただければと思っています。この映画が描くのは、スカーレットだけの物語ではなく、私たち人間全体の物語だと思っています。
今の私たちの世代で解決できないものがあったとしても、その後の若い世代、新しい考え方を持った人々がその先を紡いでいくのではないか。そして彼らが希望を見出してくれる可能性があるという祈りや願いを込めて「果てしなき」というタイトルを名付けました。
──本作には竜=ドラゴンが登場しますが、あれはどのような存在なのでしょうか? この世界には超越的な存在がいるのでしょうか。
細田:まず「この世の中に超越的な存在があるか」という問いについてですが、これについては人それぞれ考え方が異なるものだと思います。たとえば、ある人はドラゴンのような存在に神を見出し、ある人は運命を感じるかもしれません。つまり、その答えは個々の思想や解釈によって異なるものです。
ドラゴンについてですが、劇中ではその正体について深く説明をすることはあえて避けています。ドラゴンはある意味で「取り囲むもの」であり、何か巨大な存在であるという印象を与えつつも、その具体的な姿や意味については見る人の解釈に委ねています。
作中でドラゴンに剣や槍が刺さっている場面がありますが、なぜそのような状態でもその姿を保ちつつ悠然と空を泳いでいるのか、その全てが不思議であり、解釈に幅を持たせています。
このドラゴンは、絶対神であるようでいて絶対神ではないのかもしれない。ですが、それが本当に何を象徴しているのかは観る人によって異なるでしょう。これは何か一つの確定的な意味を提示するのではなく、多様な考え方を許容する存在として描いています。
今回の映画では、シェイクスピアの『ハムレット』やダンテの『神曲』をモチーフにしています。ダンテの『神曲』は高校生のときに読んで非常に衝撃を受けました。この作品はタイムリープのようだと思ったのですが、地獄に入ることで歴史上の偉人や様々な存在に次々と出会える構造がとても面白いと思ったんです。今回の映画にも、その影響の断片が散りばめられていると言えるかもしれません。
ただ、『神曲』の魅力はそれだけではありません。一神教の世界観が色濃く反映されていますが、それを超えて人々の魂が救われることを願う普遍的なテーマを描いており、中世の人々が抱いていた思いが伝わってくるんですね。ドラゴンが何を象徴しているかについては、観客それぞれが自分の考えや感じ方で解釈するものだと思います。











































