5pb.野村Pが『ケメコデラックス!DS』『11eyes C..

【ゲームクリエイターインタビュー】『11eyes Cross Over』&『アイテムゲッター』制作者・5pb.野村泰彦さん編(前編)

 リリース直前の話題のゲームソフトを制作するゲームクリエイターに、新作ゲームソフトの紹介や開発秘話をご紹介いただきつつ、仕事の内容やゲーム業界に携わったきっかけ、ゲーム業界を目指す皆さんへアドバイスをしていただく企画『ゲームクリエイターインタビュー』。

 今シリーズでは『メモリーズオフ』シリーズや、昨年ゲーム界に衝撃を巻き起こした『カオスヘッド』などを手がける5pb.にクローズアップしていく。

 5回目の最後にご登場いただいたのは『ウミショー』、『PRISM ARK-AWAKE-』、『かのこん えすいー』などアニメ案件を多く手掛け、2月26日にDS用ソフト『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』、4月2日にXbox 360用ソフト『11eyes Cross Over』、そして6月4日には志倉千代丸さん企画のDS用ソフト『アイテムゲッター ~僕らの科学と魔法の関係~』などのゲームリリースを控えた、5pb.ゲーム事業部ディビジョン3のプロデューサー、野村泰彦さんにお話をうかがった。

 今章ではゲーム業界へ入ったきっかけと、アニメ作品のゲーム化秘話、そして2月26日に発売されたDS用ソフト『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』などについて語ってもらった。


●最初はただのライトなゲーム好き

――まず野村さんのお仕事内容を簡単にご説明いただけますか?

野村さん:ディビジョン3で今、プロデューサーをやっています。5pb.に入った当初はディレクターとして、プリンセスソフトさんから2007年に発売されたPS2用ソフト『Que~エンシェントリーフの妖精~』に関わった後、自社からもゲームを出していくことになり、『ウミショー』、『PRISM ARK-AWAKE-』、『かのこん えすいー』、『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』などのアニメ作品のゲームの制作を担当しました。そしてXbox 360用ソフト『11eyes Cross Over』も4月2日にリリースされるのを待つばかりとなり、今は6月4日発売予定のDS用『アイテムゲッター ~僕らの科学と魔法の関係~』の追い込みの真っ最中です。ディビジョン3で作るゲームはアニメやPCゲームの移植など他社案件が多いですね。


――ゲームに興味を持ったのはいつ頃ですか?

野村さん:一番最初にゲームに触れたのはプレーヤー同士が棒状のスティックでボールを打ち返すような初期の家庭用ゲームや、カセットテープからデータを読み込むゲームなどを友達の家で遊んだことですね。それから中学時代に友達の家でファミコンの存在を知った時は衝撃的でした。色が付いたゲームはゲームセンターでしか見たことがなかったので。こんなこと言うと年がバレますね(笑)。そしてファミコンを手に入れるんですが、まずソフトだけ買って。しかもなぜか二人打ちの『麻雀』という……(笑)。


――そこからディープなゲーマー人生の始まりが……

野村さん:そういうこともなく(笑)。ソフトもそんなに持っていたわけでもなく、友達とおもしろいソフトがあったら貸し借りする程度のごく普通な程度にゲーム好きという感じでした。


●CGアニメを作るはずがゲーム界へ!?

――むしろライトですね。そんな人がどうしてゲーム業界に入ろうと思ったんですか?

野村さん:高校時代は部活が忙しくてあまりゲームはやらず、そのうちに進路を決める時期になって、目標もなく、何となく大学に行こうかなと思って受けるんですが、勉強もしてなかったので当然、合格できなくて。それじゃあ、何をやろうかと考えた時、ちょうどその頃、コンピュータグラフィック(CG)でアニメができるようになったので、自分もCGによるアニメ制作に関わりたいと思って、CGを学べる専門学校を探して入学しました。入ってみたらCGと言いながらも、設計や製図作業を処理するCAD(コンピュータ支援設計)がメインで「違うんじゃん!」と(笑)。それでも2年間通って、さてどこに就職しようかと考えたら、まずCADは除外して(笑)、CGアニメに行きたいと思ってたけど勉強もしてなかったからそれもない。学校でやってたプログラムが好きだったから、プログラムを組む仕事がいいなと。仕事でやるからには楽しくないと続けられないだろうと思って、ゲーム業界を目指すことにしました。前からゲームを作りたいなという気持ちも漠然だけどあったし。


――ゲーム業界にやっとつながりましたね(笑)。学校で学んでいたプログラムは本格的なものだったんですか?

野村さん:今はゲーム科があるくらい専門的なカリキュラムがありますが、僕がいたのは20年前のことで、まだ学校もあまりないし、先生もそれほどいなくて、C言語程度でした。だから専門学校を出た時のスキルはほとんどゼロに近いですね。多少コンピュータの知識があって、ちょっとプログラムをかじったくらい。


――どのようにゲーム業界に入られたんでしょうか?

野村さん:学校に求人が来るんですけど、ゲーム関係だとコナミとデータイーストの2つだけで、2つとも受けましたがデータイーストに運良く決まって、入社することになりました。でもデータイーストがどんなゲームを出していたのかもよく知らなくて(笑)。


――ディビジョン2の盛政樹さんもデータイースト出身でした

野村さん:当時、コンシューマーメーカーもそれほどなく、選択肢が狭かったですからね。だからかぶるんじゃないでしょうか(笑)。


●驚かされたハリウッド映画のゲーム化

――データイースト入社後はどんな流れでゲーム制作に携わったんですか?

野村さん:同期が20人くらいいて、半年間は研修をしていて、その一環としてチームを組み、PCエンジン用のゲームを作ったりしました。そして配属が決まって、業務用ゲームを作っている部署に入りました。そこで最初に作ったのが『ロボコップ2』です。


――あの映画のアーケードゲームですね。アクション系の

野村さん:ご存知ですか?(笑) データイーストは国内よりも海外でよく売れたんです。アメリカにも会社があったので、そちらの意向も強かったですね。アメリカでは1ゲーム数セントと安いのでとにかくインカムを稼がなきゃいけないと。だから海外版は難易度がめちゃめちゃ高いんです。その流れで1プレーだとコインが稼げないから「ロボコップを2体出せ」と。


――確か、映画では1体しか出てないですよね

野村さん:はい。僕らからすれば版権だし、それはないんじゃないかと思うんですけど、「そんなことは関係ない。とにかく2体にしろ」って(笑)。コントロールやプレーヤーまわりのプログラムを組んだりしたのが本格的なゲーム制作のスタートでした。


――海外の版権もの、特に映画などは版権元のチェックが厳しいイメージがありますが……

野村さん:現地営業が窓口になっていたんですけど、よくロボコップ2体で許可がとれたなと今でも思います(笑)。たぶん当時はゲームの地位もまだ低くて、版権元にすれば遠くでおもちゃを作っている感覚なんでしょうね。ユーザーの意識も今だったら「こんなクソゲーにして!」とお叱りの声もあるでしょうけど、関心も低かったんでしょう。


――海外、特にアメリカではインカム至上主義でも、日本では難易度が高すぎると敬遠されますよね。1コインである程度、遊べないと

野村さん:国内で出す時はもちろん考えます。スタートボタン押して2秒でやられたら、2度とやってくれないし。だから国内と海外では別のバランスをとってました。


●ゲーム制作に時間をかけ過ぎて怒られる

――データイーストではその他、どんなゲームに関わったんですか?

野村さん:『ウルフファング』というアクションシューティングゲーム、ハンドボールっぽいスポーツゲームの『ヘビースマッシュ』などにプログラマーとして関わって、サターン版『水滸演武 風雲再起』を作ったところで次の会社に行きました。


――次はどちらに就職されたんですか?

野村さん:トンキンハウスです。盛と同じ流れです。データイーストでは2つ先輩なんですけど僕のほうが最初に辞めて、トンキンハウスには僕が入った1年後に入ってきて。トンキンハウスを辞めたのは盛のほうが早くて5pb.に行った1年後に今度は僕が5pb.に入社しました(笑)。


――トンキンハウスでもゲーム制作をされていたんですね

野村さん:『It's aのに~!』というパズルゲームや『Lの季節』だったり、ポケットステーションのゲームのプログラムもしてました。年齢的にも管理者的な立場になったこともあり、『Missing Blue』ではプログラムは若い子達に任せて、僕はスクリプト的なものをやるようになっていって、『D→A』ではほとんどスクリプトをやってました。もともとゲーム制作の合間に、グループトップの東京書籍が教科書会社だった関係で教育ソフトを作ったりもしてたんですが、トンキンハウスがゲーム制作を無期限停止するということになって、学校で行うテスト関係の仕事を本格的にするようになっていきました。


――その後はどんなお仕事をされたのですか?

野村さん:『MissingBlue』以降はプロデューサーでもなく、ディレクターでもなく、一般の会社組織の課長みたいな(笑)。全体を見つつ、スクリプトもやってという感じで。最終的に教育関係の仕事になってしまったんですけど、その状況に閉塞感があって、やっぱりゲーム制作をしたいと思っていた時、「5pb.でゲームを作っていくんですけど、人が足りないので来ませんか?」と誘われて入社することになりました。


――5pb.に入社を決めた理由は?

野村さん:既にでかくてトップをとっているような大きな会社は興味がなくて、むしろ下からトップを狙って登りつめるほうがモチベーションも上がるんです(笑)。当時の5pb.はできたばかりで、これからゲームもやっていくという発展途上な会社であるし、盛からは「何でも好きなことができる」と聞いて、夢がある会社だなと。実はトンキンハウスに入った時も似た感じで、外注ばかりだった制作を内部で行っていくという方向性になって、経験者が必要ということで声がかかって。誘い文句で、「無理にゲームを作らせないし、残業もさせない。好きなだけ時間をかけていいから」と言われて入ったんですけど(笑)。


――盛さんも時間をかけて作っていたけど、それがまずかったとも言ってました(笑)

野村さん:本当に時間をかけたら怒られました(笑)。


●作品の世界観から季節はずれになってしまったゲーム『ウミショー』

――5pb.でも年長的なまとめ役のようなポジションを求められたのではないんですか?

野村さん:5pb.のゲームチームのスタートが盛と僕とDivision5の松原、あとシナリオライターの林。細々とプロデュースをやっていこうかと思ったら、元KIDの開発陣も入ってきて、今でこそ大所帯になりましたが、最初は上下関係もなく、一緒にゲームを作る仲間という感じでしたね。5pbで最初に関わったのがPS2用ソフト『Que~エンシェントリーフの妖精~』で、志倉(千代丸さん)が原案で、盛がプロデュースをしていて、僕は外注管理をやってました。たぶんトンキンハウスで管理職的なことをやっていたからだと思いますけど(笑)。その後、プロデューサーになり本格的に作った最初のソフトはPS2版『ウミショー』になります。


――『ウミショー』は2007年11月発売で、この頃から5pb.のゲーム制作が本格化した印象があります。アニメの主題歌も5pb.制作で、今の連動する形の原型はここから始まったのかなと

野村さん:5pb.発売の初めてのソフトでしたからね。音楽制作のセクションがアニメのOP曲やED曲、劇伴などの音楽制作・提供にもどんどん進出していく流れの中で、ゲームも作れるんだったら作ろうよというのがあって。だからその後も5pb.では『ナイトウィザード』や『PRISM ARK -AWAKE-』、『GHOST HOUND』などアニメ案件が増えていきました。


――初のアニメ案件の『ウミショー』ですが、『週刊少年マガジン』の人気連載作品のアニメということもあり、かなり調整など苦労されたのでは?

野村さん:僕がアニメからゲームにする場合、アニメ製作委員会の方など協力的なことが多くて、『ウミショー』の原作のはっとりみつる先生からも「ゲームの世界なんで、自由にやってください」とご理解いただきました。


――ゲーム化はアニメ化と同時に決まったんですか?

野村さん:ほぼ同時期くらいですね。実際にアニメの制作が始まって、設定画ができてから本格的にゲームの制作も始まって。アニメの案件は結構、キツイんですよね。アニメの放送終わりくらいが一番ホットなタイミングなので、そこに発売したいんですけど、1クールの作品だと3カ月しかないんですよね。
 『ウミショー』の場合はこちらがテレビアニメのゲーム化が初めてだったことで不慣れなところもあって、『ウミショー』という夏の作品なのに発売が11月という秋、そして初冬になって…、タイミングを逃しちゃいました(苦笑)。


●続いたアニメーションのゲーム化

――『ウミショー』の後に作られたゲームが……

野村さん:『PRISM ARK -AWAKE-』です。PCゲームからのアニメ化だったので、コンシューマーに移植しようと。アドベンチャーの間に戦闘シーンがあるRPG風アドベンチャーゲームでした。


――移植の時に苦労されたことは?

野村さん:追加要素として新キャラを一人立てました。無謀だったのはPCゲームのシナリオにいなかった新キャラを元々いるように見せようとして、いろいろ肉付けしつつ、新キャラルートも作ったのでものすごく大変でした(笑)。PCのユーザーさんを引き付けるにはそこまでしなきゃいけないかなとチャレンジしたんですけど……。


――その次はあの話題になったアニメの『かのこん』のゲームですね

野村さん:『かのこん えすいー』です。PS2用ソフトだったのでどうしても越えられない壁があって(笑)。『かのこん』という題材にしてはマイルドな方向の作品だったので、あの話題に乗っかれなかったかもしれませんね。


――でもその流れに乗ろうとしたら……

野村さん:審査に通らなくて発売できないという、大変なことになっちゃうので(笑)。


――じゃあ年齢制限もなく……

野村さん:レーティングはC(15歳以上対象)でした。エッチなシーンじゃなくても、水着やキスシーンがあればBやCになってしまうので。今はかなり厳しいですね。


●ミニゲームも豊富でムービーも見られる『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』

――そんな苦い想いもしつつ、最新作となるのが2月26日に発売された『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』。かなり毛色が違う作品ですね

野村さん:『ケメコデラックス!』は健全なお色気ですから(笑)。深夜番組だから多少お色気が必要なのかなと。うちがやる作品はお色気系が多いのかもしれませんけど(笑)。


――どんな内容になっているんですか?

野村さん:基本的にはアドベンチャーですが、ミニゲームが入ってます。またアニメ寄りに作られていて実際のアニメシーンを見られたり、ケメコは中にエムエムという女の子が乗る2頭身の人型ロボットなんですけど、アニメでバトルシーン的な見せ場があるので、コマンド形式ですが格闘シーンが見られたりとアニメの魅力が詰まったゲームになったかなと思います。


――このソフトの魅力は?

野村さん:シナリオはライトな感じなので気軽に遊べるところですね。DSというハードの特性も考えて、あえてアドベンチャー一辺倒ではなく、手軽に遊んでもらいたいと思って作りました。ミニゲームがたくさん入っているし、ちょっとした空き時間で遊べます。アニメを見たことがない人でも楽しめるし、「こんなアニメあったんだ」と興味を持ってもらえるのではないでしょうか。


――苦労されたところはありますか?

野村さん:限定版ですね。今回は何を付けようかと(笑)。ゲーム本編を考えるくらい悩みます。『ケメコデラックス!DS』は、ロボットなのにグニュっとしたやわらかいウレタン人形とエムエムのラバーキーホルダーを付けました。あと榊原ゆいさんが歌うOP曲「KoIGoRoMo」と、今井麻美さんが歌うED曲「Day by Day」のゲームバージョンやお二人のコメントが収録されたスペシャルCDなど盛りだくさんです。我々が一生懸命限定版の特典を考えたので、万が一お店で見かけた時は速攻でレジまで持っていってください。そうじゃないと僕らが見つけた時、寂しいですから(笑)。
(続く)


●プロフィール
野村泰彦さん……5pb.ゲーム事業部ディビジョン3プロデューサー。データイースト、トンキンハウスを経て5pb.へ。主な代表作は『ウミショー』、『PRISM ARK-AWAKE-』、『かのこん えすいー』、『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』など。


DS用ソフト『ケメコデラックス!DS~ヨメとメカと男と女~』
2009年2月26日発売
限定版7,140円(税込)
通常版5,040円(税込)
発売:5pb.

(C)いわさきまさかず/アスキー・メディアワークス/「ケメコデラックス!」製作委員会<BR>(C)2009 5pb.Inc.

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