
『天幕のジャードゥーガル』山田尚子総監督インタビュー|“考えること”を取り戻すアニメーション。作品に宿る、歴史・文化・生活へのまなざし
Abel(アベル)監督のイマジネーションを止めない
──そんな本作を映像化するにあたって、特に大事にしていた部分や気にしていたことはありますか。
山田:やはり、文化の異なる2つの国を軸に描いていく作品なので、そのどちらの文化に対しても、きちんと敬意を持って描くこと。そこを一番大事にしていたと思います。
──敬意を持ちながらも、フラットな感覚も受けました。「奴隷」という強い言葉をキャラクターたちが普通に使用していたり。
山田:「そういうことがあった」という語り口というか。「奴隷」という言葉や制度に関しても、初めて知ることが多いなと思っています。シタラたちの空間、ペルシアでは、まるで家族のように生活していたり。
触れていく中で、自分が勝手に思い込んでいた認識みたいなものを、どんどん見せてもらえる感覚があって。だからこそ、「もっと知りたい」と思わされるんですよね。
──そういった表現をしていく中で、総監督としてどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
山田:特に何かを強く引っ張るというよりは、Abel監督の応援隊みたいな感じでした(笑)。「Abel監督が次は何をするんだろう」っていうのを、楽しみにしていたんです。
──では、山田さんから何かを提示するというよりは、Abel監督に応えるような。
山田:心持ちとして、Abel監督のイマジネーションを止めない人でありたいと思っています。
──作り手としてのAbel監督の魅力や、「信頼できる」と感じる部分についてもお聞きしたいです。
山田:最初にお仕事をした時に彼と話をして、何て言うんでしょう……確信めいたものがありました。純粋に「作るために生まれてきた人なのではないか」と感じたんです。ある意味ではとてもフラットですし、同時に「良いものにするためには妥協しない」という強さもある。また、いろんな目線をちゃんと同時に持っていらっしゃるんですよね。
客観的な視点もあるし、その中に少し主観的なものもバランスよく入っている。そして、最終的には、すべてが「この作品にとって何がベストか」という一点に向かって収束していく。
Abel監督がこれまで何を見て、どんな勉強をして、何に興味を持ってきたのか。そういうものも惜しみなく作品に注ぎ込んでいるし、それを選び取るバランス感覚もすごいなと思います。また次に別の作品を作ったら、全然違う世界を作り上げるんじゃないかしらって。なんだか「四次元ポケット」みたいな印象です。
──何でも自在に取り出すことができるような感じなんですね。そのポケットの中身が気になります。
山田:何かギャップのようなものを感じさせないのが不思議なところでもあります。彼自身、日本のアニメーションをとても愛していらっしゃいますし、古い日本映画も大好きだそうです。作ったものを見ても、根っこの部分に“侘び寂び”があって。そういった意味でもバランス感覚が素晴らしいと思います。
──Abel監督からは、山田さんについて、「キャラクターの内面の描き方が素晴らしい」といったようなお話もあったんですが、本作はたくさんキャラクターが登場しますよね。それぞれの人物を、どう捉えて、どう走らせていったのでしょうか?
山田:この作品に限らず、「各キャラクターごとに考えていることや正義がある」と思いながらやっていると、人数の多さはあまり気にならないかもしれないです。みんな違うので。例えば、「理解できなくて当たり前」だと思うこともあるし。例えるなら、その人物の話に耳を傾ける作業なのかなと。
『天幕のジャードゥーガル』は登場人物が多くとも、もともとすごく魅力的に描かれているし、その人物について調べていくと、「もっとこう描きたい」という気持ちもどんどん出てくるんですよね。
──普段作品に触れる時も、そうやって登場人物1人1人を見ていく感覚があるんでしょうか。
山田:「そういう人なんだな」って思うというか。冷静に分析するというよりは、「そう考えるんだ」みたいな「学び」の感覚に近いかもしれないです。
トマトスープ先生の意図に反することはしたくない
──トマトスープ先生とは、実際どんなやり取りをされていたのですか?
山田:本当にものすごい量のお問い合わせが、トマトスープ先生のところにいっていたと思います(笑)。
シナリオ段階もそうですし、設定を作ったり、絵を描いたり、アニメーションを作り上げる中で、「これはどういう意図なんでしょうか」と確認することが多かったです。
もちろん、創作として広げていく部分はあるんですけど、トマトスープ先生の意図に反することはしたくない。そのチューニングみたいな作業を、かなりたくさんやっていました。先生からしたら、「めっちゃ聞いてくるな……!」って感じだったと思います(笑)。ざっくりした大きな部分から、ものすごく細かいところまで。野暮な質問もいっぱいしていたかもしれないです。
──かなり細かく確認しながら進めていったんですね。キャスティングについても伺いたいのですが、ムハンマドのお芝居に衝撃を受けました。あまりに無垢で知的な感じがしたと言いますか。演じる齋藤潤さんは、主に実写作品で活躍していますね。
山田:斎藤さんに関しては私も想像していなかったというか、やっていただけると思わなかったですね。収録に来ていただいても、目の前にムハンマドがいるような感じで。本当に素晴らしかったです。
──シタラを演じる関根明良さんも、彼女の2面性を見事に表現しておられて。
山田:そうなんですよね、一枚岩ではない感じ。強か(したたか)で計算高いけど、抜けている部分もあって。そういう揺らぎみたいなところを上手く演じていってくださっていると思います。
シタラと共に学び、考える
──シタラに対する印象や、役割についても伺えますでしょうか。
山田:シタラって、すごく揺らぎがあるというか。いる場所によって、どんどん吸収して、考え方も変わっていく人なので、ある種一貫性がないように見えると思うんですよね。一見すると、ころっと考えを変えているようにも見える。大切なものを奪っていったモンゴルのことを、少しずつ好きになっていったりもする。
そこがすごく人間くさいキャラクターだと思う一方で、語り部としては変わった人物なんじゃないかなとも思っています。
──揺らぎのある語り部ですね。
山田:シタラの目線を通して見ていくことで、周りのキャラクターたちがどんどん魅力的になっていく気がするんです。でも、シタラの言っていることを真剣に追いかけていくと、気づいたら(視聴者が)振り落とされている瞬間もあるかもしれないなと。今後どういう女性として描かれていくのか、私自身もまだ知らないので。今の時点ではとても人間くさいキャラクターだと感じています。
──そんな彼女は本作で「学び」を生きる手段のように捉えています。一方で、私たちの現実世界では「勉強をすること」や「知性に希望を持つ」ことが難しくなっているような感覚もあります。作品にとっても鍵となる「学び・知性」の意義について、山田監督はどのように捉えていらっしゃいますか?
山田:この世界には、知らないことばかりですよね。いろんな情報だけが世に溢れている感じで、それを眺めているだけで知った気になったり、勘違いしたままにしてしまうことも多いんじゃないかと思ったり。
疑問を持ち、考え、立ち止まってみることが難しくなっているかもしれません。でも、この作品と向き合っていると「考える」ことをすると思うんです。知ることは楽しいし、自分の自信にも繋がってくるし、良い作用が生まれるような気がするというか。
インターネットやSNSでは、アルゴリズムの影響でどんどん先鋭化していく印象があって、気づいたら自分の興味があることだけになったりしがちですよね。例えば、「本屋さんに行って全く興味を持っていなかった本を何となく買ってみる。それがすごく面白かった」みたいな経験ってどこかであるんじゃないかなと思うんです。その感覚を忘れたくないですし、『天幕のジャードゥーガル』は考える・知るみたいなことが叶う作品だと思っています。
──そういう経験を思い起こしてくれますよね。
山田:脳みその使っていないところが動くというか。「そういえばここ動いてたことあったな」みたいな気持ちにもなれるかなって。
何かを考えることができる、考えることを”する”作品になっていて、能動的に作品を見ていけると思います。
──考えさせられる、ではなく「考える」をする。
山田:視聴者の皆さんも、(作品を視聴して)自分はどう考えるのか、作品とご自身のコール&レスポンスみたいな感覚で楽しんでいただけると嬉しいです。
[インタビュー/タイラ]
作品情報
あらすじ
これは、広大な大陸を翻弄した一人の魔女の話――。
⺟を亡くし、故郷からも遠く引き離されたシタラ。
まだ幼く、一人で生きていく術も未来への希望も持たない彼女は、
学者の一家に拾われ、穏やかな日々の中で“知”を授けられる。
その頃、皇帝チンギス・カンによる地上最強の「モンゴル帝国」が他国への侵攻を繰り返し、
日に日に勢力を拡大していた。
その野望がシタラの住む街に到達したとき、日常は終わりを告げ、運命が大きく動き出す。
キャスト
(C)トマトスープ(秋田書店)/天幕のジャードゥーガル製作委員会

































