
『果てしなきスカーレット』細田守監督インタビュー|コロナで生死をさまよったからこそ生まれた死後の世界への描写、復讐の連鎖を断ち切るための「赦し」とは
役所広司さんの名演が光る
──劇中では現実ではまだ完成していない渋谷の街が登場するシーンもありましたね。
細田:あの渋谷のシーンは観ていると急に現代に舞い戻る感じがあって、びっくりされるかもしれませんね。あの未来の渋谷についても実際に関係者に取材をしたり、いろいろと調べました。
あのシーンを通して描きたかったのは、私たちがいる現代の時間を相対的にどう見るかということです。過去の人にとっては、私たちが生きている「今」の時代は未来にあたりますし、この相対的な視点から、主人公たちの人生や観る人の体験について新しい視点を提供できたらと思っています。
渋谷という場所は世界中の人にも知られる有名な場所の一つです。ニューヨークでも上海でもない、渋谷であること。それは聖という日本人のキャラクターがそこにいることでより際立ちます。聖は渋谷近辺の病院に勤めているという設定ですので、彼にとっても渋谷は身近な場所であるのです。
一方で、スカーレットの目線で現代の渋谷を描くことで、現代がまったく異なるものに見えてきたり、相対化されて見えたりする点が面白いと思います。これは過去の作品『時をかける少女』でも試みたことがあるのですが、現代の人間が相対的に自分の時代をどう捉えるかがテーマになっています。たとえば未来から来た人が現代を見ると、それがどう映るのか。映画を観る方々にとっても新しい体験のひとつになるのではないでしょうか。
シーンの構成に関しては、例えば『2001年宇宙の旅』でワームホールを抜けた先に突如「ホテルの部屋」が現れるのを思い出させるかもしれません。あの予測不能な展開には驚きますよね。同じように、スカーレットが目にする現代の渋谷のシーンにも、予想外な面白さを感じていただければと思っています。
──芦田愛菜さんをはじめとする役者の皆さんのキャスティングについてお伺いしたいのですが、監督が話されていた「役柄のイメージ以上のものを持つ役者」という視点から、どのようにキャスティングを進められたのでしょうか?
細田:役柄をキャスティングする際、つい俳優さんのパブリックイメージを優先しがちなのですが、それ以上に「その人が持つ何か別のもの」を感じてキャスティングできると、役の表現がより広がり、際立つことがあると思っています。芦田愛菜さんはまさにそのような方でした。彼女の演技には、パブリックイメージを超えた深みや成熟があり、それがスカーレットというキャラクターに非常に魅力を与えてくれたと思います。
──今回の作品ではプレスコ(声を先行録音する手法)を初めて採用されたと伺いました。経験豊富な役者の演技を聞いたことで、キャラクターや表現に変更や影響があった場面について教えていただけますか?
細田:これまでの作品ではアニメーションの映像を作ってからアフレコをしていました。しかし今回はCG技術を多く導入する中で、プレスコのほうがメリットが大きいということで、この手法を初めて採用しました。最初に収録を行ったのは役所広司さんで、クローディアス役でした。ご覧いただければお分かりになると思いますが、役所さんの演技は素晴らしいんです。彼が持つ圧倒的な表現力、力強さ、憎らしさ、ずる賢さ、そして哀れさがすべてクローディアスに凝縮されていて、特に最後のシーンでは、録音を聞きながら鳥肌が立つほどでした。
彼の声だけでも、映画のテーマである「生の極限に達したときの感情」を体現しているように感じました。ただ、それを絵にするとなると果たして可能なのだろうか、と正直思いました。演技のすごさをアニメーションで表現するのはかなり難しい挑戦になるだろうと感じました。
その後に芦田さん、岡田さんと続けて収録を行いましたが、役所さんの芝居を聞いた後に演じるということで、皆さん大きなプレッシャーを感じていたようです。それでも、役者の皆さんが本気で表現してくださり、非常に高度なパフォーマンスを見せてくださいました。
アニメーターの方々も、役者の皆さんの演技を聞いて最初は「これは無理だ」と思ったそうです。しかし負けじと挑戦を続け、細部にこだわり、役者の声の演技の素晴らしさに応えるアニメーションの芝居を作り上げました。役者の声の演技の力とアニメーターの努力が合わさることで、あそこまでの表現が可能になったと思います。この相互の刺激が、本作のクオリティを高めてくれました。
CG技術を使うと効率的に見えるかもしれませんが、実際にはとても手間がかかっています。CGであっても人の手で動きを付け、細かな感情や表情を緻密な作業で描き出すことが必要となります。特に人間の感情が極限に達したときのアニメーションの芝居は、作画でもCGでも非常に高度な技術と作業が求められます。役者のバイブスや演技を画面にきちんと表現するアニメーターの皆さんの成果を見て、改めてアニメーション表現の新しい可能性を感じました。
アクションシーンにもこだわりあり!
──スカーレットの年齢設定を19歳にされた理由、名前をスカーレットにした理由は何でしょうか? そしてスタントコーディネーターの園村健介さんとスタントアクターの伊澤彩織さんを起用された理由についてお聞かせください。
細田:ヒロインの年齢設定を19歳にしたのは、モデルの一人が16世紀末の同時代を生きたエリザベス一世だからです。彼女がそのぐらいの年齢で即位しています。ただ正確に19歳というわけではないかもしれませんが、あの時期の若さが重要だと思いました。
名前をスカーレットにした理由については、非常に力強い主人公にしたかったからです。ハムレットとの関係を指摘されることもありますが、スカーレットという名前はもっと古く、6世紀から7世紀頃から存在しているものです。ハムレットとの直接的な関係はなく、純粋にこの主人公の象徴的な力強さを表現するのに適していると思って選びました。
園村さんについては、2015年に公開した『バケモノの子』でもモーションコーディネーターをお願いしており、冒頭の炎の中のアクション部分を担当していただきました。その実績が素晴らしかったので、今回も園村さんにお願いしました。伊澤さんにはスカーレットのスタントアクターとして参加いただきました。アクションの動きが非常にすごくて、彼女の動きがスカーレットに命を吹き込む力になると感じたんです。
伊澤さんが演じたアクションについては、動きの参考となるビデオ、いわゆる「Vコン」を撮り、その伊澤さんの動きをアニメーターが参考にして1コマ、1コマ丁寧に描き起こしています。特に伊澤さんの「前髪の動き」がすごく魅力的で、それがアニメーションにも色濃く反映されています。彼女は前髪が少し長めなんですが、その前髪がアクション中に揺れる様子が格好良くて、動きのリアリティとインパクトを与えてくれました。特に前半の戦闘シーンで描かれるコーネリウスとの戦いは、伊澤さんの動きが非常にうまく反映でき、素晴らしいアニメーションとなっています。
復讐劇として、アクションには特に力を入れた部分ですね。アクションがしっかりしていないと復讐劇自体が面白くならないので、一つひとつのシーンに多様なアプローチを採用しました。たとえば、物語の最初の戦闘シーンではマーシャルアーツや剣での戦いを描きました。中盤に差し掛かると馬を使ったアクションが中心で、その後には群衆を絡めた戦い、そして物語終盤では精神的な葛藤がメインです。それぞれ異なるタイプのアクションを取り入れることで、場面ごとに変化をつけ、観客のみなさんに魅力を感じてもらえるよう心掛けました。
地元富山から得た着想
──監督の故郷、富山県の山岳信仰や立山曼荼羅をイメージさせる描写がいくつか見受けられました。監督の心象風景が具体的に込められているのでしょうか?
細田:確かに今回描かれた地獄や火山などの風景には、富山の立山をはじめとする山岳信仰からの影響があります。立山は現在も硫黄ガスが噴出している場所があり、「地獄谷」という名称がついています。実は取材をしようと試みたのですが、現在は火山ガス活動が活発なため入場規制がかかっているため叶いませんでした。地元の文化や風景からは強い影響を受けています。
立山や地獄谷に限らず、富士山や長野でも活火山は信仰や地獄観の対象となっています。これらの場所が地獄から天国へ至る象徴のように描かれてきたことは、日本の古い信仰に深く根ざしており、今回の物語の発想の一部にもなっています。立山の稜線や風景が直接のモデルになっているわけではありませんが、山岳信仰や曼荼羅的な世界観は、私が子供の頃から触れてきたものですので、やはり影響を受けていると思いますね。
──本作の構造について、『時をかける少女』との類似点を感じました。未来から来た男性と現代に住む女性との関係性や、「未来を変える」というテーマが重なっているように思います。ただし、本作では未来を変えるという部分にさらなる決意が込められていると感じました。この2作品の類似点と、未来に対する異なるアプローチについてお聞かせください。
細田:おっしゃる通りですね。実は自分で作りながら途中で気づきました(笑)。最初はまったくその類似点には気づかずにこの作品制作を進めていたんですが、プロデューサーの高橋さんや宣伝プロデューサーの岡田君に「これ、『時をかける少女』と構造が似ているのではないか?」と指摘されたんです。その時は「そんなことはない」と否定したんですけど、後々考えると確かにその類似性を認識しました。
未来から来た男性と物語の中の現在を生きる女性が主人公であるという構図は確かに類似しています。そしてその女性が未来を見据えるというテーマも重なります。ただ、『時をかける少女』が公開された19年前と現在では、未来に対する見方が大きく変化しているように思います。
『時をかける少女』を制作した2006年当時、私は筒井康隆先生の原作をアレンジする中で、1960年代と2000年代の未来観の違いを感じていました。その結果、映画の結論も必然的に異なるものになりました。そして今回の『果てしなきスカーレット』では、さらにその未来観が変化していると感じています。
2006年は若者が持つバイタリティや希望に未来を託したいという気持ちが強かった時代でした。しかし、現在の状況では、若者に過剰なバイタリティを求めることが正しいのか疑問に感じる部分もあります。未来に向けた物語の結論が異なったものになっていくのは、時代背景や価値観の変化に影響されているからだと思います。もうそこまで無責任に期待するだけでは済まない状況になっているのではないかと感じています。現在、若い人たちは、いろいろな面でがんじがらめになっているように思えるんですよね。
SNSなどを通して他人を気にしすぎたり、必要以上のストレスを抱えたりしている。世の中も変化し続けていて、かつて「正しい」とされていたものがどんどん揺らいでいる。若い人たちが不安を感じるのはむしろ当然のことと思います。これは日本だけの話ではなく、世界的にそのような傾向があるのかもしれません。でもそんな不安の中でも、少しでも彼らに寄り添い、力になるような映画を作りたいと思ったんです。これは、『時をかける少女』を作った頃には持たなかった視点だったかもしれません。
スカーレットというキャラクターは16世紀の宗教改革後の時代を生きる人間ですが、その時代背景から何か普遍的なテーマを感じ取れるのではないかと思います。人間はルネサンスを経て宗教改革があり、啓蒙主義、フランス革命を経験し、それを通じて民主主義が形作られました。そこから帝国主義や全体主義といった揺れ動きを経て、今の時代にたどり着いています。しかしその民主主義も揺らぎつつあると感じることがある。こうした背景を考えると、若い人々が不安に思うのも無理はないですよね。それに寄り添う映画を作ることが、まさに今の時代への応答なのではないかと思っています。
[インタビュー/石橋悠]
作品情報
あらすじ
父の敵への復讐に失敗した王女・スカーレットは、≪死者の国≫で目を覚ます。
ここは、人々が略奪と暴力に明け暮れ、力のない者や傷ついた者は<虚無>となり、その存在が消えてしまうという狂気の世界。
敵である、父を殺して王位を奪った叔父・クローディアスもまたこの世界に居ることを知り、スカーレットは改めて復讐を強く胸に誓う。
そんな中彼女は、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。
時を超えて出会った二人は、最初は衝突しながらも、≪死者の国≫を共に旅することに。
戦うことでしか生きられないスカーレットと、戦うことを望まない聖。
傷ついた自分の身体を治療し、敵・味方に関わらず優しく接する聖の温かい人柄に触れ、凍り付いていたスカーレットの心は、徐々に溶かされていく――。
一方でクローディアスは、≪死者の国≫で誰もが夢見る“見果てぬ場所”を見つけ出し、我がものにしようと民衆を扇動し、支配していた。
またスカーレットが復讐を果たすために自身を探していると聞きつけ、彼女を<虚無>とするために容赦なく刺客を差し向ける。
スカーレットと聖もまた、次々と現れる刺客と闘いながら、クローディアスを見つけ出すために、“見果てぬ場所”を目指してゆく…。
そして訪れる運命の。
果てしない旅路の先に、スカーレットがたどり着く、ある<決断>とは――
キャスト
(C)2025 スタジオ地図











































